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2007.03.09

剣客盗賊・石坂太四郎

『鬼平犯科帳』文庫巻6に収載の[剣客]で、過去の遺恨から、病身の松尾喜兵衛を一刀のもとに殺害したのが、この石坂太四郎である。
老齢を理由に、3年前に道場を閉め、深川・清澄町の藍玉問屋〔大坂屋〕の持家である貸家に隠棲していた松尾喜兵衛の愛弟子が同心・沢田小平次だったから、長谷川平蔵も手をつくして石坂の所在をつきとめ、沢田に仇討ちをさせた。
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『江戸買物独案内』(文政7年 1824刊) 池波さん座右の史料
松尾喜兵衛は、〔大坂屋〕の持ち家に隠棲していた。

年齢・容姿:40歳前後---とあるが、上総・佐貫(さぬき)藩・阿部駿河守への仕官をかけた試合時の、相手方・松尾喜兵衛の年齢を50歳前と仮定すると、15年以上は昔のはず。石坂は25歳前後か。
精悍な風貌。総髪。、小ざっぱりした身なりで、外出時には袴をつける。羽織さえまとうこともある。
生国:不明。上総国天羽郡の佐貫藩へ仕官を所望というから、同藩が転封前、三河国刈谷藩時代に縁があったと考えられないでもない。
というのは、仕官の道を絶たれて盗みの世界へ入ったのが〔野見(のみ)〕の勝平一味。首領・勝平の出身地が、尾張(おわり)国碧海郡(あおみこおり)野見(のみ)村(現・愛知県豊田市野見町)。
3年前に駿府から流れてき、小千住・山王権現社のかたわらで足袋づくりをしている留吉も〔野見〕の手の者。
〔野見〕一味の江戸での盗(つと)めのために先発してきて、深川・木場に近い入船町に住む。
Photo_308
近江屋板(部分) 赤○=深川・入船町、青○=富岡八幡宮
左端のブルーは海、下端は木場。
(参照:〔野見〕の勝平の項)
(参照:〔滝尻〕の定七の項)

探索の発端:最初は、仙台堀にそった松平陸奥守の蔵屋敷の横から出てきた石坂太四郎の羽織の袖にの血痕を見た鬼平が、同心・木村忠吾に尾行させたが、富岡八幡の境内でまかれてしまう。
松尾喜兵衛の葬儀の手伝いに来ていた密偵・おまさが、大坂屋へつなぎにあらわれた〔滝尻(たきじり)〕の定七を見つけ、彦十に尾行を依頼、小千住の留吉に隠れていた石坂浪人が見つかる。

結末:石坂は沢田小平次のとっさの剣技に破れて殪される。〔野見〕一味は、留吉の隠れ家に次々に現れては、張り込んでいた長谷川組に、文字通り、順繰り逮捕された。

つぶやき:[5-5 兇賊]で初めて登場し、「真刀では、おれも危なかろう」と鬼平がいうほどの遣い手---沢田小平次だったが、この篇ですさまじいばかりの剣技を示した。
以後、鬼平が支援を頼みとするときは、岸井左馬之助か沢田小平次の登場となり、連載にさらにもう一つの幅ができた。
つまり読み手は、沢田小平次の登場を心待ちにするわけだ。

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コメント

『江戸買物独案内』によると、藍玉問屋は霊巌島とか小網町のように、川や堀に沿った舟便のいいところに点在しています。

しかし、大川の右岸の川沿いの商業地は、ほとんど老舗に抑えられているので、新興の問屋は同じ川・堀ぞいの深川で開店したのでしよう。

〔大坂屋〕も、佐賀町の池北屋もその口とおもいます。
それにしては持家のしもた屋をもっているのですから、けっこう儲かっていたのでしょうね。

投稿: ちゅうすけ | 2007.03.09 15:07

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