銕三郎、三たびの駿府(5)
5日目の七ッ(午後4時)前に、駿府城下の町奉行所へたどりついた。
筆頭与力・河原頼母(たのも 53歳)が待っていた。
「ご足労でありました。お奉行へのお目どおりは明日(みょうにち)ということにして、今夕はゆるりとお疲れをお癒しなさいますよう」
矢野弥四郎(やしろう 35歳)同心が、それほど遠くない伝馬町の本陣・〔小倉〕平左衛門方へ案内した。
ここでの宿は、駿府町奉行所持ちとのとりきめになっている。
(駿府城下・伝馬町の西側 赤○=本陣〔小倉〕 水色=旅籠)
さすがに駿府の本陣である。規模からして、6年前に銕三郎(てつさぶろう 24歳)が養女・与詩(よし 6歳=当時)を迎えにきたときに泊まった〔大万屋〕とは、だいぶにちがう。
【参照】2008年1月5日[与詩(よし)を迎えに] (16) (17) (18) (19) (20)
夕餉(ゆうげ)にでた酒も、地元で一番の銘酒・鴬宿梅(おうしゅくばい)であった。
「有田さま。この酒は、なみなかでは手にはいりませぬ銘酒です」
「しからばば、賞味を---」
有田同心は、口にふくんでしばらくころがしてから嚥下し、
「うむ。さすがに駿府一---のどへの流れがちがいますな。鼻へ抜ける馨りに白梅の蕾(つぼみ)がかくれています」
相伴していた矢野同心が、
「長谷川どのは、以前にも府中へ?」
「6年前に、朝倉仁左衛門景増(かげます 61歳=当時 300石 1000石高・役料500石)さまのニ女・与詩(よし 6歳=当時)をわが家の養女に迎えるために---」
「覚えております。あのときの---。内与力(ないよりき)のどのが、ことのほかよくできた若者とほめちぎっておられたのは、そちらでございましたか。奇縁です。荒神松盗人事件の掛りは、手前でございます」
「ほう」
有田同心がのりだしてきた。
「有田どの。ここは酒の席です。仕事のことは明日、役所にて---」
矢野同心に佐山与力が相槌をうつ。
「さよう。明日、々々」
「朝倉さまは、拙が与詩を引き取った2ヶ月たたないうちにお亡くなりになったとか」
銕三郎の言葉に、矢野が
「手前の次男が生まれた日ですから、しかと覚えております。宝暦13年の5月5日でした。江戸への届けなどで、公式には17日となっておりますが---」
「それでは、拙がお訪ねしてから、1ヶ月にも欠けます」
「長く伏せっておられましたから、すべては筆頭与力さまが取り仕切っておられました」
言ってしまってから、酒のはずみで余計なことまでをしゃべりすぎたと思ったのであろう、矢野同心は、明朝五ッf半(午前9時)にお迎えにあがると約して帰っていった。
手酌で呑んでいる有田同心を残して、佐山与力と銕三郎はそれぞれの部屋へ引き上げた。
銕三郎は、主人の平左衛門(55歳)と一番番頭・恭助(きょうすけ 62歳)に部屋へきてもらい、あれこれ訊いた。
駿府に住んでいる人の数、人別の厳緩、戸数、木戸番小屋の数、盗賊に入られた〔五条屋〕の評判などなど。
とりわけ、念入りに確かめたのが、貸家を持っている家主たちの家業と、彼らを束ねている町年寄の人柄であった。
【参照】2009年無1月8日[銕三郎、三たびの駿府](1) (2) (3) (4) (6) (7) (8) (9) (10) (11) (12) (13)
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