嫡子・辰蔵の誕生(2)
「若。今助(いますけ)とおっしゃる人と、小浪(こなみ)と申される女性(にょしょう)が見えておりますが---」
下僕の太作(たさく 63歳)が告げた。
「おお。こちらへお通ししてくれ」
銕三郎(てつさぶろう 25歳)が気軽に言うので、太作はいぶかしげにためらっている。
「いいんだよ、素性のしれた知りあいなのだ」
今助(23歳)は、着なれない羽織袴に、みょうにかしこまっている。
小浪(31歳)も、化粧も商家の新造らしくひかえめにおさえ、埃よけの揚げ帽子をつけているが、天性の艶っぽさは、さすがにかくせない。
今助と連れだって真っ昼間におおっぴらに外出できる口実ができ、うれしくてしかたがないという面持ちもかくさない。
若夫婦のために建て増しされた離れに導かれた2人は、それでも型どおりに祝辞を述べ、祝い金をさしだした。
今助は、
「用心棒のことで、大きくお世話になっている、あっしからの、こころばかりもので---」
じつは、浅草・今戸一帯を取り仕切っている香具師(やし)の元締・〔木賊(とくさ)〕の林造(りんぞう 61歳)の代理といえば、辞退されるとしっての口上である。
その知恵をつけたのは、小浪にきまっていると、銕三郎も察している。
その小浪は、
「きつうご贔屓にしてもろてます、茶店〔小浪〕からのお祝いどす」
それにしては包みが厚すぎる。
これも、出どころは〔狐火(きつねび)〕の勇五郎(ゆうごろう 50歳)の差し金とわかっているが、このときはこだわらなかった。
何かと世話がしやすいからと、宮参りがすんでも母屋に眠っている辰蔵(たつぞう)を、ぎこちない手つきで抱き、離れへ戻った銕三郎が、
「見てやってください。拙の赤子のときにそっくりだと、親類の者たちはいうのですよ」
手ばなしの親ばかふりである。
小浪が抱くと、目をさました辰蔵が乳房を手さぐりするので、
「辰蔵ちゃんのお口におうたら吸うてもらうんどすが、でえしまへん---」
小浪は泣き笑いしながら、銕三郎へ返す。
銕三郎は、母屋へとってかえし、久栄の乳房をふくませた。
「お乳(ちち)は足りてはりますか」
小浪は、中年増らしく気がまわる。
急に改まった今助が、両手をついて頭をさげ、
「長谷川さま。お蔭をもちまして、義兄・浅田と姉の仲が戻りやした。このとおりでやす」
小浪が口をそえたところによると、浅田剛二郎(ごうじろう 32歳)は、夜明け前から昼間のあいだは、向島・寺島村の〔狐火〕の寮で、於布美(おふみ 25歳)と刻(とき)をすごし、夕飯後に浅草・田原(たはら)町の質商〔鳩屋〕へつめているという。
「向島のあの寮の湯殿は、男とおんなの垣根をあっさりと取りのぞくからなあ」
「なんででやす?」
「いや---」
(梅里 湯殿のイメージ)
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