火盗改メ・永井采女直該
「楠の大樹から北へ4軒目と聞いたぞ」
弓町へ入るまえの壱岐坂下から梢はおろか、樹高の半分から上の茂り葉が、屋根ごしに見えていた。
(本郷・(元)弓町の楠の巨樹は現存。樹齢700年ほど。幹囲8.5m)
それを目安に、左手へおれたとき、銕三郎(てつさぶろう 26歳)が、下僕見習・松造(まつぞう 20歳)に言う。
「いえ。昨日、書状をとどけたときは、3軒目でやした」
「これ。やしたではないぞ。3軒目でございました、だ」
言葉づかいを直されるのも道理、下僕見習は、〔からす山〕の寅松(とらまつ)であった。
昨年暮れに烏山(東京都世田谷区北烏ー山)から出てきて、
「掏摸(すり)の足をきっぱり洗いやしたから、飯炊きなりなんなりに雇ってくだせえ。若のおそばで修行させていいだきやす」
父・宣雄(のぶお 53歳)が、銕三郎の勤仕も近かろうから、専属の下僕の一人もいておかしくないと、認めてくれた。
もちろん、久栄(ひさえ 19歳)の口ぞえもきいた。
何かにつけて、宣雄は久栄に甘い。
【参照】2008年9月7日~[〔中畑(なかばたけ)〕のお竜〕 (1) (2) (3) (4) (5) (6) (7) (8)
2008年9月22日[大橋家の息女・久栄] (4)
寅松は武家の下僕に似つかわしくないと、松造と変えた。
日が浅いので、伝琺な言葉のほうがなかなか直らない。
それでも、銕三郎は気にしないで、松造を使いにだす。
(習うより、慣れろ、だ)
そう割り切っており、昨日も訪(おとな)い状を、火盗改メ・永井組の与力筆頭・佐貫(さぬき)徹次郎(てつじろう 45歳)あてに持たせておいた。
(永井采女直該の[個人譜])
「やっぱ、若のおっしゃるとおり、4軒目でやした---でございました。あいだの1軒があんまり小さいので見逃しておりました」
「これ、松。声(鯉)が高い」
「鮒が安い」
池波さんなら、ここで、こう、駄洒落を返させるだろうが、ちゅうすけには、その気はない。
さすが家禄2000石の永井家の敷地は本郷台地の弓町に2000坪はあり、その役宅の与力部屋で佐貫筆頭与力のわきに、駿府、掛川へ探索に出張(でば)った与力・佐山惣右衛門(そうえもん 38歳)も待っていた。
説明は、もっぱら、佐山与力がおこなった。
出張る同心は、気ごころのしれた有田祐介(ゆうすけ 31歳)であること。
与力は手いっぱいゆえ、出張れないこと。
(なにをいっておるか。賊を捕まえるのが仕事のくせに---)
組の掛かり金が少ないゆえ、旅籠代別で1日2朱(2万円)、10日分1両1分(約20万円)きり下せないこと。
木更津と江見村、真浦(もうら)村での食事と泊まりは村持ちであるから、掛かりは足りようと。
「佐山さま。供の掛かりはどうなりましょう?」
「ほう。駿府、掛川のときには、供の者はお連れではなかったが---」
「あのときは初見前の部屋住みの身分でしたから---」
「なるほど。理ですな」
佐山与力は、佐貫筆頭の丸顔に目をやって指示をあおぐ。
筆頭は、渋い顔をさらにしかめながらうなずいた。
「では、2人分ということにいたします」
(これで、松に小遣いをやれる)
有田祐介同心が呼ばれた。
「公用手形、木更津への船手形は、この有田同心が持って、明後日五ッ(午前8時)、木更津河岸(江戸橋南)からでる木更津通いの船で待っている」
「では、有田さま、明後日、木更津河岸にて---」
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コメント
あ、この大楠樹、知ってます。フランス料理店「くすの木亭」の看板でしょ。
文京区でいちばん古い、だったか、大きいだったか、標識がでてますよね。
「くすの木亭」は、いちど、食べてみたい店です。
池波先生、推奨してらしたかしら?
投稿: tomo | 2009.05.20 08:32