進物の役
「長谷川うじも、そろそろでしょう」
「なにが--でございますか?」
平蔵(へいぞう 30歳)をみつめる菅沼藤十郎定亨(さだゆき 46歳 2025石)の目はやさしかった。
が、相変わらず顔色がすぐれないし、酒も口にしなかった。
定亨は、去年から火盗改メ・本役をつとめている。
平蔵が進言して実現した、香具師(やし)の元締の組の夜廻りが功を奏した。
それで今夜は、〔音羽(おとわ)〕の重右衛門(じゅうえもん 49歳)の手下(てか)が、鋳物師あがりの〔五ノ神(ごのかみ)〕の音蔵(おとぞう 48歳)一味を尾行し、逮捕にこぎつけたということで、富士見坂下の護持院前の料亭〔巴や〕弥平に招かれていた。
火盗改メ方は、組頭のほかには、筆頭与力・脇屋清助(きよよし 47歳)と、捕り方の指揮をとった服部与力(32歳)。
〔音羽〕方は、元締の重右衛門と小頭「・〔大洗(おおあらい)〕の専ニ(せんじ 37歳)。
それに発案者の平蔵。
感謝と慰労の辞、恐縮した返礼のやりとりが一段落したところであった。
「長谷川うじの、進物の役の発令ですよ」
「拙など、とてもとても---」
平蔵は謙遜したが、
「先日、所用で西丸に顔をだした節、与(くみ 組とも記す)頭の牟礼(むれい 郷右衛門勝孟 かつたけ 55歳 800俵)うじと出あったので、長谷川うじを推しておきましたぞ」
〔音羽〕のが、もっともといった表情でうなずいた。
平蔵は、頭(こうべ)を下げ、
「身にあまるおこころづかい、かたじけなく」
柳営中の進物番は、三家三卿、大名、幕臣からの将軍家や大奥への進物、その返礼のことをつかさどる。
それだけに、本丸・西丸の書院番士700人、小姓組600人の番士の中から、容姿端麗、口跡明瞭、機転煥発の基準にかなった者が50人だけ選ばれる。
両番(書院番、小姓組)の家柄にとっては、とりわけ名誉に感じる役であった。
平蔵の長谷川家はもちろん、これまで一人もこの役についたことはなかった。
本家では、45年ほど前に、いまの当主・太郎兵衛正直(まさなお 67歳 1450石)が七代目にして初めて役した。
50名の進物番士は平均して3年から5年のあいだ動かないから、年に12,3名ほどしか補充されない。
1300人の中で12,3名だから、指名率はきわめて低い。
もっとも、任じられるのは、20歳から30歳前半までというのが暗黙のしきたりとなっていたから、当選率は100分の1ではなく、30分の1ほどであった。
いや、年に30人に1人だって、考え方によれば相当に厳選であることに変わりはない。
任命は、ほとんどが11月に発令されたので、こころ待ちにしている番士は、その月が近づくと、息をひそめて呼びだしの奉書を期待していた。
そんななか、平蔵は、
「わが家は、そのような家柄ではない」
と平然としており、3人目の子を腹中に入れている久栄(ひさえ 23歳)と、隣家の継室・於千華(ちか 40歳)仕込みの、その4、その5の実践を楽しんだ。
【参照】2010年5月25日[亡父・宣雄の3回忌] (3)
「茶寮〔貴志〕へは、その後はご無沙汰しておるが、女将は達者かな?」
「拙もこのところ、とんと縁がありませぬゆえ---」
三河町の御宿(みしゃく)稲荷脇の寓居への訪問を欠かさなかったから、寝衣の里貴(りき 31歳)がもてあますほどに達者であることは告げなかった。
また、話すべき内容のものでもなかった。
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