〔殿(との)さま〕栄五郎(3)
「権(ごん)どの。さきほどの〔殿(との)さま〕栄五郎(えいごろう 30代半ば)だが、どうして尾行(つ)けることができたのだろう?」
菊川橋たもとの船宿〔あけぼの〕で舟に乗りかかった権七(ごんしち 44歳)へ、平蔵(へいぞう 31歳)が問いかけた。
舟からあがってき、、
「元締衆の手下(てか)の中に、〔蓑火(みのひ)〕に通じているも者がいやすと---?」
「いや。〔草加屋〕の使用人の中であろうよ」
「あたってみます」
「火盗改メが手がけては、ことが大げさになる。拙からだと、こっそり、安兵衛・お新夫妻にいいつけ、この5年のうちに雇い入れた者のすべての名前、齢、職、生地、請宿(うけやど 口入れ屋)、住みこみか通いか、を書きださせておいてくれると助かる」
「承知いたしやした」
(〔蓑火(みのひ)の喜之助(きのすけ 55歳)が企(たくら)んだ盗(つとめ)ではなく、軍者(ぐんしゃ 軍師)の一人である〔殿さま〕栄五郎と小頭の一人---〔五井(ごい)〕の亀吉(かめきち 37歳)あたりが手柄を立てようと仕組んだものかもしれない)
平蔵がそう勘ぐったのは、仕事(つとめ)よりも私怨を優先した栄五郎の先刻の仕打ちによってであった。
しかし、あ奴らに、なにごともなく〔草加屋〕から手を引かすための知恵は、しぼりださないといけない。
(しかも、それが、おれの細工としれないように。そうでないと、お粂(くめ)に危害がおよぶかもしれない)
権七が、聞きだした人別を屋敷へもってきた。
商売が商売だけに、雇い人の出入が多い。
その中で、去年の秋に雇われた信州・佐久の生まれの飯炊き・岩造(いわぞう 53歳)に平蔵の目がとまった。
去年の夏、〔蓑火〕の小頭の一人・〔尻毛(しりげ)〕の長助(ちょうすけ 31歳=当時)を見つけ、南伝馬町2丁目の両替為替商〔門屋(かどや)〕へ潜入していた岩次郎(いわじろう 52歳=当時)と手代・由三(よしぞう 19歳=とうじ)を暴いた。
【参照】2010年4月26日~[〔蓑火(みのひ)のお頭] (9) (10) (11) (12) (13) (14) (15) (16)
岩次郎と岩造、齢も符合する。
請宿(うけやど 口入屋)は、いちおう亀井町の堀ぞい:竹森稲荷(現・中央区小伝馬町194)横の〔天狗屋〕茂兵衛となっていたが、あとで〔草加屋〕の女将・お新(しん 33歳)が、小諸から江戸へ仕入れにきたという細面で小柄なちょっといい男の中年の客・太物商〔亀屋〕五兵衛にたのまれ、[天狗屋〕を通したことにして雇ったという。
「女将が、〔亀屋〕五兵衛と乳くった末のことでやしょうよ」
笑いながら権七が推察を述べた。
たしかに赤ら顔の亭主の安兵衛は、太りすぎてもおり、そっちのほうより酒かもしれない。
非番の日、平蔵が大塚吹上の火盗改メの役宅を訪ね、お頭・菅沼藤十郎貞亨(さだゆき 47歳 2025石)、それに筆頭与力・脇屋清助(きよよし 48歳)と綿密な打ち合わせをした。
要は、田沼(意次 おきつぐ)侯の息のかかっていた茶寮の女中頭の再就職先の〔草加屋〕への襲撃をあきらめさせ、かつ、お粂(くめ 35歳)に危害がおよばないような手段を構ずることであった。
打ち合わせた案にしたがい、脇屋与力が〔草加屋〕を説得し、盗まれる金を用意させた。
それとともに、薬研堀の埋立地に店をはっている[草加屋]の一筋西の通り、元矢ノ倉に武家門を張っている寄合・村越頼母房成(ふさしげ 36歳 2500石)を訪問し、ある了解をとりつけた。
【参考】武家門
村越家は、譜代の家柄で、その屋敷は1300余坪。
(緑○=寄合・村越家 元矢ノ倉 赤○=料亭〔草加屋〕
池波さん愛用の近江屋板切絵図)
当主・房成は一風変わっており、書院番士を体調をいいたてて34歳の若さで辞したものの、隠居はせず、たまに登城はするが役にはついていないことを幸いと、謡曲と釣りに打ち込んでいる仁であった。
それというのも、丹後国加佐郡(かさこおり)田辺藩(3万5000石)の藩主・因幡守明成(あきしげ 卒年47歳)の3男として生まれるとすぐに、親類筋の村越家へ養子に入って跡目相続をしており、何歳になっても気ままさが抜けていなかった。
脇屋与力が持ちこんだ案を、
「面白い。これは、おもしろい」
少年のようによろこんだ。
「村越さま。絶対に口外なさらないこと、お誓いください」
「わかっておる。奥にも家臣にも、話すものではない」
「事後も、でございますぞ」
「洩らしたときには、腹かき斬ってみせるわ」
芝居がかった仁ではあった。
【参照】2010年7月1日~[〔殿(との)さま〕栄五郎] (2) (4) (5) (6) (7)
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