安永6年(1777)の平蔵宣以
安永6年(1777)が明けた。
長谷川平蔵宣以(のぶため)は、32歳となった。
内室・久栄(ひさえ)は、25歳。
嫡男・辰蔵(たつぞう)、8歳。
長女・初(はつ)、5歳。
次女・清(きよ)、2歳。
母・妙(たえ)、52歳。
そろって息災に、雑煮で祝った。
本家の長谷川太郎兵衛正直(まさなお 69歳)へ祝賀の辞をのべに、辰蔵を伴って訪問したところ、新しく組下となった先手・弓の2番手の与力たちが屠蘇をふるまわれていた。
筆頭与力・脇屋清助(よしのり 49歳)をはじめ、高瀬円蔵(えんぞう 41歳)、岡田勇蔵(ゆうぞう 37歳)、服部儀十郎(ぎじゅうろう 33歳らの末座に控えていた与力が、
「館(たち)朔蔵(さくぞう 33歳)でございます」
名乗ってから、
「父が、いこう、お世話にりましたそうで---」
「いや、お世話をこうむったのは手前のほうでした。本年も、大伯父をお助けくださるように---」
座の一同に頭をさげた。
もう、顔を赤くしていた正直が、
「おととい、柳営で、土屋帯刀守直(もりなお 44歳=安永6年 1000石)に会ったら、次席与力から、そなたに会うようにすすめられていると申されていたぞ。なんでも、夜廻りの助(す)けのこととか---」
脇屋筆頭が片目をつむって合図をよこした。
3日。
恒例の猿楽の緡(さ)し積みのときの衣裳は、紅緋(べにひ)できめた。
【ちゅうすけ注】 熨斗目麻裃
【参照】2010年6月18日[進物の役] (5)
あとで、与(くみ 組)頭の牟礼(むれい)郷右衛門勝孟(かつたけ 57歳 800俵)から、
「太夫から、目立たんばかりの色の大紋・長袴の進物の番士は、どちらのご子息か、と訊かれたと、番頭が仰せであった」
新年の諸行事が終わったころ、先手・弓の7組の筆頭与力の高遠(たかとう)専九郎(せんくろう 46歳)から、1月16日前後で躰があいている日の八ッ(午後2時)に役宅へお出向きくださらないかといってきた。
役宅とは、土屋守直の屋敷のことであるから、このときは、小石川・江戸川端であった。
土屋家はその後、なぜか、小川町広小路、飯田町中坂下と届け出を変えている。
16日は、たまたま非番であったので、指定された時刻に門番に訪(おとない)と告げると、高遠筆頭がじきじきに出迎え、玄関脇の控えの間へ通された。
組頭・土屋帯刀守直邸を訪れるのに日数があったので、いつものように、書物奉行・長谷川主馬安卿(やすあきら 59歳 150俵)に遣いをやり、武田系の土屋家のおおよそを求めた。
初めて会う幕臣にまつわるあれこれの予備知識を仕入れ、会話に齟齬(そご)をきたさないようにするためであった。
そのための費(つい)えは惜しまなかった。
【参考】2008年9月29日~[書物奉行・長谷川主馬安卿(やすあきら)] (1) (2)
2009年1月6日[明和6年(1769)の銕三郎] (6)
2009年12月26日[茶寮〔貴志」のお里貴(りき)] (4)
費えをおしまないばかりか、平蔵は去年の半ばあたりから、主馬安卿の評をいささかあらためていた。
遣いから帰ってきた松造(jまつぞう 26歳)から、こういう話を聞いた。
和歌を好んでいる主馬安卿が、近在へ郊行したとき、農家の庭で枝を四方へひろげていた松樹を見かけ、その家のぬしに、買いとたいとかけあった。
農家のぬしは、移栽もできない樹に妙なことをいう仁だとおもいながら、10両(160万円)とふっかけてみた。
安卿はすぐさま懐中から金をだして支払って帰っていった。
売り主が奇妙とおもっていると、日ならずして、安卿は侍僕に酒食や敷物をもたせてあらわれ、松陰に坐し、終日鑑賞諷詠して飽きなかった。
それからというもの、春秋のおだやかな季節にはかならずあらわれて和歌を詠むのがしきたりとなった。
この話を、主馬安卿の侍僕から聞いた松造は、
「まさに、清韵高致(せいきんこうち)の方です」
平蔵は笑って、
「うむ。その幾枝かの代は、わしが支払ったようなものだがな」
長谷川主馬安卿の和歌に、冷泉(れいぜい)家から褒詞を加えられたのにこういうのがある。
五月やみともしの鹿は中々に月を待(まち)てや身をかくすらむ
照射(ともし)の歌によいものがないと嘆いた友人に、即興で詠んだものと伝わっている。
書き忘れるところであった。
安永6年から2年目の11月晦日、安卿は61歳で歿した。
辞世の歌は、
おき明す霜夜の鐘に心すむ浮世の夢のあけ方の空
【ちゅうすけ注】『鬼平犯科帳』文庫巻14に[五月闇]、巻16に[霜夜]という好篇があるのは偶然であろうか。
池波さんが、長谷川姓の幕臣を片っぱしから調べていて、長谷川主馬安卿の逸事にゆきあったとかんがえるのは、かんがえすぎかもしれないが。
(書物奉行・主馬安卿の個人譜には逸事の記録はない)
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コメント
職業上の秘密かもしれませんが、あえての質問をお許しください。
長谷川主馬安卿の短歌とか松の木のエピソードは。『寛政譜』には載っていないとのことですが、ちゅうすけさんは、どこからお見つけになったのでしょう?
150俵ごときの下級幕臣の記録がそうそう書き記されているとはおもえませんし。
投稿: 左衛門佐 | 2010.08.06 06:21
>左衛門佐 さん
職業上の秘密---だなんて、とんでもありません。ブログは職業にしていません。
佐藤雅美さん『田沼意次 主殿の税』(人物文庫)に、松浦静山が『甲子夜話』(東洋文庫)に、安永5年の日光参詣の総費用を書き残しているとあるの見て、手元の同書正6冊、続8冊を調べたとき、長谷川主馬の記事もあったのを覚えていたに過ぎません。
学者さんとすれば、160俵の下級武士など、とるにたりない人物かもしれませんが、長谷川平蔵にかかわりがあったとわかれば、捨てておくわけにはいきません。
そんなわけで、紹介しました。
投稿: ちゅうすけ | 2010.08.06 07:16