〔下ノ池(しものいけ)〕の伊三(2)
「870両(1億3,700万円もの現金を、なぜに手元へ置いておかれたのかな?」
平蔵(へいぞう 32歳)ならずとも、まず、奇異におもう。
大きな現金を手元へおいておくのは、商人としては失格といえた。
高利貸しでもしないかぎり、現金はほとんど利を生まない。
商品に換えてこそ、金が生きる。
飯倉2丁目の紙問屋〔萬(よろず)屋〕の当主・小兵衛(54歳)は、その名のとおりの小顔を大きくうなずかせた。
「お武家さまのおっしゃりたいことは、痛いほどわかりましてございます。いえ。ほんとうに痛いのでございます」
小兵衛がいうには、870両のほとんどは自店の金ではなく、〔萬屋〕を名乗っている幾つかの紙問屋の金であったと。
それも、2日前に5店分がそろったので、明日にも為替に組み、仕入れ代金として上方へ送るつもりであった。
まとめて仕入れたほうが、各店がばらばらに仕入れるよりも1割方、安くなるので、これまで数年間、そうしてきていたのだと。
(共同仕入れをしている〔萬屋〕グループ
『江戸買物独案内』を合成)
「現金が集まることを知っていたのは、誰と誰かな?」
脇田祐吉(ゆうきち 33歳)同心が問いをはさんだ。
「それは、もう、ぜんぶの者が承知しておりました」
「人質になったという小僧どのものかな?」
平蔵が念いれた。
「梅吉(うめきち 12歳)でござすますね。もちろんでございます」
「伊三(いぞう 58歳)もかな」
「知ろうとおもえば、知ることは容易(たやす)かったでございましよう」
そのことがなんか?---と訊きたいj顔つきになった。
平蔵は応えず、
「870両を一つ店で返済するのはことだな---」
そのつぶやきに、
「身代かぎり、すべて投げだしても追っつきかねますでございます」
「伊三について、なにか気がついたことは?」
半年ばかり、薪を売りにきていたので、なにかのついでに下男を一人求めているというと、自分ではどうか、齢なので薪の行商がつらくなっているというので雇ったと。
「そのほかに、なにか?」
「言葉に、田舎者らしいなまりがありましたが、さて、どちらのなまりやら---」
つぎに平蔵と脇田同心があらわれたのは、大伝馬町の牢獄であった。
伊三が入れられている獄舎の番人が呼ばれた。
「おぬしの生まれは?」
平蔵の問いかけが、予期していなかったものらしく、番人はきょとんとした顔で見返してきた。
「おぬしの故里(ふるさと)を訊いておる」
「おらの---てまえのてすか?」
「そうだ」
「上総(かずさ)の望陀郡(ぼうだこおり)、百目木(どめき)村だが---、ですだが」
「村をでて、何年になるかな?」
40がらみの番人は、それでも指をおってたしかめ、
「25年だで---です」
目元に笑みをたたえた平蔵が、
「百目木村のなまりの入牢(じゅろう)人がいるかな?」
番人が、こっくりとうなずいた。
「誰だ?}
{伊三だで---です」
「牢内でしゃべっておるのか?」
「(牢)名主の問いかけに答えないと、仏にされてしまうだで---ますから」
【参照】2010年9月13~[〔下ノ池(しものいけ)〕の伊三] (1) (3) (4) (5) (6)
【お願い】牢番の百目木弁、あるいは上総なまりに直して、コメント欄でご教示いただけないでしょうか? お礼は残念ながら、鬼平ファン同士ということでお許しいただき、謝辞のみ。
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