〔下ノ池(しものいけ)〕の伊三(4)
「〔下ノ池(しものいけ)〕の伊三(いさ)に間違いないか?」
平蔵(へいぞう 32歳)は、日信尼(にっしんに 36歳)からご褒美をねだられていた。
乳首の外輪ぞいを、指でなぞってやっている。
尼がのぞんだ愛撫であった。
「あの、いつも口が開きかげんのところも、伊三どんの特徴です」
尼も布団の下は素裸で、右股は平蔵の両腿のあいだにさしこまれていた。
法衣は布団のかたわらに、下衣とともに無造作に脱ぎすててあった。
平蔵の口を吸いながら、とぎれとぎれに語ったところによると---。
上総(かずさ 現・千葉県南部)・下総(しもうさ 現・同県北部)と江戸を仕事(つとめ)場としていた〔飯富(いいとみ)〕の勘八(かんぱち 享年62歳)と、浄信尼が〔不入斗(いりやまず)〕のお信(のふ)と名乗っていたころのお頭〔神崎(かんざき)〕の伊之松(いのまつ)とは親しかった。
おたがい、上総の生まれ育ちということもあったし、盗(つとめ)の3ヶ条を守りぬいていたことでも、相互に信頼しあっていた。
当時、伊之松がちょっと大がかりな仕事をするのに人手がたりなくなり、〔飯富〕一味から、気ばしの利いた〔小房(こぶさ)〕の粂八(くめはち 20代前半)と、すこし足りないところがあるが見張りなどには役立つ〔下ノ池〕の伊三を借り受けたことがあった。
【ちゅうすけ注】『鬼平犯科帳』巻6[大川の隠居]p192 新装版p202
伊三がそのときに、〔飯富〕の勘八とのあいだがらをぽつりぽつりと打ちあけた。
齢も同じなら家の貧しさも似ていた。
日照りがつづいた夏であった。
飯富村の田んぼが干あがりかけた。
村の長(おさ)と大人百姓たちが、夜陰にまぎれ、下ノ池(現在はない。上ノ池だけがある)から水を盗みにいく手を求めた。
小遣い銭ほしさに、16歳だった勘八と伊三が応じた。
(赤○=木更津 緑○=飯富 その右上の水色=下ノ池
明治20年参謀本部製作の20万分の1)
真っ暗ななかで、飯富村への水門の堰板2枚)を外したところで水番にきていた牛久村の張りこみに襲われた。
勘八はうまく逃げたが、捕まった伊三はさんざんに殴られ、それから頭がおかしくなった。
村長(むらおさ)や組頭たちは、危険手当は払ってあるととりあわない。
責任を感じた勘八は、伊三の面倒は一生、自分がみると告げ、いっしょに村を捨て、盗みの世界へ身を沈めた。
(危険を冒してでも紙問屋〔萬(まん)屋)の小僧をさらい、人質交換ときたか。応じないことには梅吉(うめきち 12歳)の命があやうかろう)
「ねえ。平さま。ご褒美---」
(躰をあわせてから1ヶ月と少ししか経っていないというのに、長谷川さまから平さまに格落ちもいいところだ)
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