〔戸祭(とまつり)〕の九助(きゅうすけ)(2)
「大谷寺(おおやじ)の第2窟の釈迦像の蓮華のうてな(台座)の花弁を一片、そぎとったのです」
宇都宮藩士・石原嘉門(かもん 38歳 80石)の言葉に、平蔵(へいぞう 32歳)があわてて問い返した。
「失礼---その第2窟の釈迦像とは---?」
宇都宮城下から半里(2km)の荒針(あらはり)村に、大谷石(おおやいし 凝灰岩)の洞窟があり、千手観音、釈迦、薬師如来、阿弥陀如来の磨崖仏が彫られている。
彫られたのは1000年近くむかしであるとも。
それは、藩の宝としてどの藩主とも大切に保存・管理してきた。
ところが、すぐ東隣りの戸祭(とまつり)村の九助(きゅうすけ 22歳)が、村抜けする駄賃として釈迦像の蓮華のうての花弁をこそぎとり、返してほしければ50両よこせと、寺社奉行所へ投げ文をしてきた。
ところが、取り引きの日時も場所も指定していなかった。
投げ文の署名に、〔戸祭〕の九助とだけあった。
取り引きしようにも、捕縛するにも、手のうちようがない。
「それで、〔釜川(かまがわ)〕の藤兵衛に、関八州の香具師(やし)の元締衆に廻状をだしてもらおうという次第。藩の恥にもなるので、穏便にはこびたいのです」
(ふむ。〔戸祭〕の九助と署名か。盗賊の一味に入ったろうが、まさか、〔乙畑(おつばた)〕の源八(げんぱち 40歳前後=当時)や〔法楽寺(ほうらくじ)〕の直右衛門(なおえもん 52,3歳)のところではあるまいな)
〔戸祭〕の九助の人相・風態は、小太り、太い鼻筋、唇のすぐ上に小豆(あずき)大の黒子(ほくろ)があるということなので、廻状には書き留めやすい。
香具師の元締衆へより、盗賊の頭たちへ廻したほうが早いとおもうが、そんな筋をもっていることを、嘉門にいうわけにはいかない。
「藩の勝手(財政)が不如意なことは、さきほど、申しましたとおりでありますれば、些少ですが、お出張りの手当てとしてお納めいただきたく--」
包まれていたのは5両(80万円)であった。
【参照】2010年10月20日~[戸祭(とまつり)の九助] (1) href="http://onihei.cocolog-nifty.com/edo/2010/10/post-aa28.html">3) (4) (5) (6) (7) (8)
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コメント
とつぜん、大谷観音さまが登場したので驚きました。
いつか、拝観したいと思っていました。
高速道路もできていることだし、ブログのリンク先でみると駐車場もあるということだし、雪のまえに出かけようと連れあいにもちかけました。
投稿: mine | 2010.10.22 05:08
>mine さん
宇都宮の〔釜川〕の瀬兵衛元締つながりで、平蔵は大谷寺へ出張ることになりました。
ブログにはNHKテレビの大河ドラマの何千万分の一ほどの効果しかないでしょうが、当ブログにも一種の観光地効果をこころがけています。
力を入れてきたのは、盗賊の出身地探索でした。400人からの盗賊の出身地を推理し、そのうちの30箇所ほどは現地へ取材に行っています。
ここのところは、もう一つの毎日のプログ[創造と環境]の材料整備に時間をとられておもうにまかしませんが、これからは、もうすこし出かけてみようとおもっています。
mene さんのお住まいの近くへまいりますときは、よろしくお願いいたします。
投稿: ちゅうすけ | 2010.10.22 07:38