« 寺社奉行・戸田因幡守忠寛(ただとを)(2) | トップページ | 寺社奉行・戸田因幡守忠寛(ただとを)(4) »

2010.10.18

寺社奉行・戸田因幡守忠寛(ただとを)(3)

「さる十手持ちが、おこんとか申す女性(にょしょう)がかかわりがあるとか差し口をしたやに聞いておるが---石原、そうであったな?」

問いかけられた石原嘉門(かもん 38歳 80石)は、宇都宮藩で寺社方吟味役をしていると紹介された。

宇都宮藩主(7万7,000石)の戸田因幡守忠寛(ただとを 41歳)は、2年前の安永5年4月の将軍・家治(いえはる 40歳=安永5年)の日光山参詣往還ともに城内での宿営にとどこおりがなかった報償で、柳営の寺社奉行に任じられていた。
そこで、因幡守が月番となると、寺社方に熟練している嘉門が宇都宮から上府し、領主を支えていた。

国許では昨秋に賊に襲われた、城域に接した曲師(まげし)町の西端にある普化(ふけ)宗の虚無僧寺(こむそうでら)・松岩寺での事件を調べていた。

参照】2010年9月27日~[〔七ッ石(ななついし)〕の豊次] () (

(こん 38歳)を宿泊させた納所(なっしょ)の泥古(でいこ 47歳)を逮捕したが、酒場で呑みすぎ、家まで帰れないというので泊めてやったが抱いてはいないと、頑として淫行におよんだことを否定しつづけているという。

参照】2008年8月27日~[〔物井(ものい)〕のお紺〕 () (

「このことばっかりは、ことが行なわれている現場を目にされることはほとんどないのですからな。しかも、相手のおなごが消えている」
嘉門が苦笑した。
「秘事(ひじ)というほどだからの」
因幡守もおのれのことをおもいだしたか、思いだし笑いをした。

因幡守忠寛の正室は、長谷川家の祖に縁が深い駿州・田中藩(4万石)の元藩主で、老中も勤めたこともある本多伯耆守正珍(まさよし 69歳)の次女であった。

参照】2007年7月26日~[徳川将軍政治権力の研究]] () (10) (11

この次女の母は正室ではなく某女と『寛政譜』にあるから、美貌で閨室でも積極的なのではあるまいか。

腰:丈の半纏のような寝衣を特別誂(あつら)えして平蔵を迎えた茶寮〔貴志]の元女将・里貴(りき 34歳)の、寝間での媚態をおもいだし、
(あれこそ、まさに秘事で秘技。7万石のお殿さまでも考えがおよぶまい)
つられたふりして笑っておいた。

参照】2010年5月18日~[浅野大学長貞(ながさだ)の憂鬱] () (

「お殿さまへ申しあげます」
音羽(おとわ)]の重右衛門(じゅうえもん 52歳)が、こころばかり膝をすすめた。

同じ曲師町で材木商〔釜川(かまがわ)〕を営んでいる仲間(はらから)に聞いたが、松岩寺での被害はきわめて少なく、全部で10両(160万円)を切れていたとのこと。
ということは、おというおんなは、まともな引き込みとはおもえない。
納所の僧と好きでできあったが、なにか、気にそまぬことがあって盗人(つしめにん)を引きいれたとしかおもえない。

「いかがでございましょう、虚無僧は全国をくまなく遊行(ゆぎょう)しており、各地の風説につうじております。納所の僧を放免してやり、そのかわりとして、各地の風説を申告させるという案は---」

参考虚無僧寺

役宅の主(あるじ)・西丸の若年寄の鳥居伊賀守忠意(ただおき 62歳 壬生藩主 3万石)が手をうち、因幡守にすすめた。

嘉門。虚無僧寺は、いかほどあるな?」
「手前が存じておりますだけでも、南は熊本から、北は一ノ関まで、30寺をくだりませぬ」
「武蔵は、青梅の鈴法寺であったな?」
「御意」
重右衛門が応えた。

嘉門。来月帰国いたしたら、〔釜川〕の---なんと申したかの?」
「〔釜川〕の藤兵衛(とうべい 41歳)でございます」
「おお、その藤兵衛とやらにも声をかけておけ」
「はっ」

伊賀守忠意が満足げに、平蔵に目をやった。
平蔵は、重右衛門の機転により、虚無僧衆に連絡(つなぎ)の糸口ができたことを、ひそかに喜んでいた。

|

« 寺社奉行・戸田因幡守忠寛(ただとを)(2) | トップページ | 寺社奉行・戸田因幡守忠寛(ただとを)(4) »

017幕閣」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



« 寺社奉行・戸田因幡守忠寛(ただとを)(2) | トップページ | 寺社奉行・戸田因幡守忠寛(ただとを)(4) »