〔七ッ石(ななついし)〕の豊次(5)
材木町の旅籠〔喜佐見(きざみ)屋〕での酒盛りがはじまった。
〔越畑(こえはた)〕の常八(つねはち 25歳)、〔鯉沼(こいぬま)〕の杉平(すぎへい 20歳)、それに旅籠の亭主・次郎兵衛(じろべえ 45歳)と、j招かれた十手持ちの瀬兵衛(せべえ 30すぎ)、こちら側は平蔵(へいぞう 32歳)と松造(まつぞう 26歳)である。
差しさされつの場面は省略して、会話だけを書き写そう。
平「〔越畑〕の常八どんの、越畑村というのは---?」
常「こちらのご亭主どのとおんなじ、塩谷郡(しおやこおり)の内でやすが、喜佐見村から辰巳(たつみ 東南)へ2里半(10km)ほどのところにあるのが手前の越畑村でごぜえやす」
次「ご領主さまも異なります。喜佐見は宇都宮藩---」
常「越畑は足利(木連川(きつれがわ)藩主の古称)さま」
平「足利といえば、あの戸田(玄蕃忠喬 ただたか 14歳 1万1000石)さまのご城下だが、あそこに〔法楽寺(ほうらくじ)〕のなんとか---そう、直右衛門(なおえもん 50すぎ)だったか、そういう盗賊がいたな」
次郎兵衛と瀬兵衛が顔を見合わせた。
平「どうしたな?」
次「先刻、お出かけの前に口にしました、曲師(まげし)町の虚無僧寺・松岩寺へ押し入った賊が、その〔法楽寺〕の一味ではないかといわれておりますので---」
平「確か?」
瀬「いえ。ただ、あの寺の納所(なっしょ)のなじみで、その夜、寺へ泊まったおんなが、翌日から行方がしれなくなりまして---」
平「名は---?」
瀬「(ちょっとためらってから)---お紺」
平「しらないな」
(あのお紺がなあ。あれから10年は経っておるから、38歳の大年増だが---)
【参照】2008年4月30日~[〔盗人酒屋〕の忠助] (2) (3) (4) (5) (6)) (7)
2008年7月19日[明和4年(1767)の銕三郎(てつさぶろう)] (3)
2008年8月27日~[〔物井(ものい)〕のお紺] (1) (2)
平「盗賊といえば、〔乙畑(おつばた)〕のなんとかという名も耳にしたことがあったな」
常「長谷川さま。乙畑村は、手前の村のすぐ隣の村でございやす」
平「これは奇遇。どういう村かな?」
常「手前の村から午未(うまひつじ 南々西)の方角に隣りあい、宇都宮のご城下にからは子(ね 北)へ6里(24km)ほど。東乙畑と西乙畑にわかれている広い村でございます」
平「乙畑といっているところをみると、田ではなく、畑ばかりかな?」
平蔵は、かつて訪れたことがある、甲斐の中畑(なかばたけ)村の、畑ばかりの風景をおもいだしたいた。そして、いまはいない〔中畑(なかばたけ)のお竜(りょう 享年33歳)なら、このことをどうさばくはかを、ちらっと、おもってみた。
【参考】2008年9月13日~[〔中畑(なかばたけ)〕のお竜] (7) (8)
常「いえ。東西あわせて、田方が330石ばかり、畑方は100石をきれましょう。畑という字をあててはおりやすが、むかし、乙幡というさむれえがいたそうで---」
平「豊かそうだな」
常「とんでもありやせん。豊なら、手前のように村を出てはおりやせん」
平「乙畑村で盗賊になった者のことを耳にしておらぬかな?」
常・次「とんと---」
平「瀬兵衛さんはどうかな?」
瀬「さあて---」
平「こころあたりがありそうだな?」
瀬「いえ」
平「ご城下では盗(しごと)みをしていないとみえるな」
平「杉平どんは、さっきから、何かいいたそうだが--?」
常「〔鯉〕、おもったことを申しあげねえか」
杉「おら---手前の村に近い七ッ石村の者が、小山(おやま)で〔乙畑〕の源八(げんぱち 40がらみ)とやらいうお頭の配下になったちゅう噂を、2年ほどの前に耳にしたことがありやすです」
平「そうか。〔乙畑〕の源八---そうであった、源八とか源七とかいった。いや、源七(げんしち)なら、そういう知り合いがいるから覚えているはず。源八であろう、杉平どん、よくおもいだしてくれました」
杉「へえ」
平「明日は、昼餉(ひるげ)をすませてから、壬生(みぶ)へ発(た)つことにしよう。壬生までの道のりは---?」
次「2里半(10km)たらずでしょう」
平「杉平どんは、途中で別かれて、七ッ石村、鯉沼村をあたり、〔乙畑〕の源八の一味に加わった七ッ石村の男の名前を聞きだし、(あく)る日でいいから、本陣〔蓬莱屋〕へ報せにきてほしい」
杉「合点でやす」
平「瀬兵衛親分は、ご足労だが、明日六ッ半(午前7時)に、もういちどここへき、例の男についてのその後について聞かせてほしい」
瀬「かしこまりました」
その夜、平蔵は、長いあいだ寝つかれず、お紺とそのむすめのおみね(17歳)のことを考えていた。
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コメント
初めてコメントさせていただきます。
栃木県の地図をたしかめたら、越畑も乙畑も釜川も鯉沼も七ッ石もみんな実在していまして、驚きました。
ほかの地名もそうなんでしょうね。
土地の鬼平ファンに確かめてみたい。
投稿: kacchin | 2010.09.29 09:39
>kacchin さん
ようこそ、いらっしゃいました。
池波さんも盗賊の呼び名をおつけになるときは、旅行した土地か、吉田東伍先生『大日本地名辞書』(冨山房 明治38年~)からおとりになっています。ぼくも、明治20年ごろの参謀本部の20万分の1を参考にしています。
投稿: ちゅうすけ | 2010.09.29 18:39