藤次郎の難事(7)
「母者が承知いたしますでしょうか?」
新八郎(定前 さだとき 16歳 7000石)が不安げに、大伯父・菅沼主膳正虎常(とらつね 60歳 700石 小普請支配)に問いかけた。
自分ではまだ艶っぽく女ざかり---と自信たっぷりの於津弥(つや 40歳)であったから、平蔵(へいぞう 33歳)も同じ疑問をいだいていた。
「尋常の手段では、納得させられまいな」
虎常も、あっさり認めた。
新八郎が肩を落とすと、虎常は平蔵を注視し、
「相良侯(田沼主殿頭意次 おきつぐ 60歳 老中兼側用人)から、主命であると申し渡していただく---」
「このような私ごとを、田沼さまへ---?」
「一人のおんなとその子の命がかかっておると、里貴(34歳)どのから訴えるのじゃ」
「あっ--」
「夏目藤四郎信栄(のぶひさ 28歳 300俵)のところに嫁(い)かせておるむすめ・菸都(おと 25歳)から、里貴どのが紀州からお戻りと聞いておっての。はっ、ははは」
むすめ自慢をこめた、楽しげな笑い声であった。
【参照】2009年12月22日~[夏目藤四郎信栄(のぶひさ)] (2) (3) (4)
新八郎を連れて〔季四〕で食事をし、里貴に頼ませると、あっさり承知し、
「お菊(きく)さまのほうがお齢上なのでございますね」
「はい。4歳---」
ちらっと平蔵に一瞥をくれ、笑みをたたえ、
「と申されますと、20歳(はたち)?」
「左様です」
「おんながいちばん美しく見える齢ごろでございます。きっと、可愛いお子さまをお産みなりましょう」
食事代は新大橋西詰の菅沼邸へまわしてくれといい、黒舟で平蔵を菊川橋まで送りながら、
「美しい方ですね。先生がうらやましい」
「おいおい。女将は田沼侯の---」
平蔵をさえぎり、
「拙の目にも、里貴さまが先生にぞっこんなのは見抜けます。もちろん、口がさけても他言はいたしませぬ」
「おれのことはいいが、里貴どのが田沼侯へ訴えることのほうを、墓場までもっていくように、な」
「肝に銘じました」
お津弥は、将軍の内意ということで、全勝寺の塔司(とうじ)の全徳寺の庵室へこもったものの、半分狂気が見えており、座敷牢のような部屋で逝ったらしいが、明治に全徳寺が廃寺となったために、記録は残っていない。
全勝寺の住職・迪達師の手になる霊位簿の、
牧心院殿飛湧美津大姉 行年41歳
これが、それではないかともいわれていた。
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