里貴(りき)からの音信(ふみ)(3)
飯台の茶が冷えきっているのもかまわず、平蔵(へいぞう 33歳)は、紀州・貴志村の里貴(りき 34歳)の文を、暗記するまで、くりかえして読んだ。
きょう、堺ご奉行の佐野備後守(政親 まさちか 47歳 1200石)さまが突然、いらっしゃいました。
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これから村をでていくなら、銕さまのいらっしゃる江戸でなければ、おんなとして生きている意味がないと思いきわめております。
そのときは、また、こころの支柱になってくださいますか。
かしこ
「お武家さま。店を閉めます」
小女にせかされ、数寄屋橋門外の弥左衛門町の茶店をでた。
夕暮れがきている下町に、片袖(裃 かみしも)姿は場違いであったが、気にならないほど昂揚していた。
(里貴が帰ってきたいと申している)
その願いは、老中・田沼主殿頭意次(おきつぐ 60歳 相良藩主 3万7000石)にも達していようか。
「お里貴(りき 30歳)を可愛がってやってくだされ。あれは、ふしあわせなおなごゆえ」
なにかのときに、意次が、老中という鎧(よろい)を脱いで、しみじみといった言葉が、いまでも平蔵の耳にのこっていた、
【参照】2010330[茶寮〔貴志〕のお里貴] (5)
長患(ながわずら)いの両親のために費(つい)えもかかったであろう。
とりあえずの住いを考えておかねば---。
平蔵の足は、迷うことなく、深川・黒船橋北詰の〔箱根屋〕へ向かっていた。
裃姿に権七(ごんしち 46歳)が目を見張った。
「なにか、火急なことでも---?」
「金が要(い)ることになった」
「いかほどですか---?」
「家を一軒ほど」
【参照】2010年2月7日 [元締たちの思惑] (4)
わけを話すと、
「長谷川さま。〔貴志〕の女将さんがお一人でお住みになるだけなら、いますぐお買いになることはありません。とりあえずは、お借りになればよろしいでしょう」
「そうか。御宿(みしゃく)稲荷脇の家を、里貴の持ち家とひとり決めしていたやもしれない」
「御宿(みしゃく)稲荷脇の家---?」
「いや、なに---」
【参照】2010年11月18日~[三河町の御宿(みしゃく)稲荷脇] (1) (2)
2010年4月5日[お里貴の行水]
屋敷には、田沼侯からの伝言(でんごん)が待っていた。
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