おみねに似たおんな(5)
〔法楽寺(ほうらくじ)〕の直右衛門(なおえもん 50前後=安永9年 1780)一統で、面識のある者たちの顔ぶれを思いだしてみた。
首領・〔法楽寺〕の直右衛門は、10年前にほんの寸刻だが言葉を交わした。
幹部級の〔名草(なぐさ)〕の嘉平(かへい 60歳前後) 野方領・千駄ヶ谷村の仙寿院の門前あたりで茶店〔蓑安〕を仕切っている。盗人宿も兼ねていた。
〔樺崎(かばざき)〕の繁三(しげぞう 45,6歳) もう一人の若い男と猿江橋の西に住まっていた。
〔物井(ものい)〕のお紺(こん 39歳) 宇都宮城下の虚無僧寺・松岩寺(しょうがんじ)を襲った数人の手引きをしたらしい
【参照】2010年9月29日[〔七ッ石(ななついし)〕の豊次] (5)
2010年10月16日~[寺社奉行・戸田因幡守忠寛(ただとを)] (1) (2) (3) (4)
お紺のむすめのおみね いま、浅草・諏訪町の墨・筆・硯問屋〔平沢〕の女中にはいりこんでいる。
〔平沢〕は江戸ではそれを専業にしている店がほとんどないのに、十露盤(そろばん)の店も隣りに構えて繁盛していた。
平蔵は、〔法楽寺〕一味のわずかに5人を知っているにすぎないが、お紺とおみねを故〔助戸(すけど)〕の万蔵(まんそけう 享年35歳)かかわりと考えると、〔名草〕のも〔樺崎〕のも、足利まわりの生まれと見なすと、直右衛門は信頼を、同郷者においている---つまり、よそ者を信用したがらない性分(しょうぶん)とみていいのではないか、と判断した。
その性分をかんがえると、おみねはもとより、居場所のわかっている〔名草〕の嘉平、〔樺崎〕の繁三とその連れを人質にし、こんどの仕込み先である〔平沢〕をあきらめさせることはできまいか、と思案した。
その策をすぐ捨てた。
こちらが人質をとったとわかれば、〔法楽寺〕も久栄(ひさえ 28歳)や辰蔵(たつぞう 11歳)を人質交換用に襲うかもしれない。
いや、里貴(りき 36歳)ひとりでも、交換に応じざるをえない。
お粂(くめ 39歳)、お通(つう 12歳)、善太(ぜんた 10歳)であっても同じことだ。
宇都宮の元締・〔釜川(かまがわ)〕の藤兵衛(とうべえ 43歳)から足利の元締に働きかけてもらう案も、捨てた。
他人(ひと)を頼ってはいけない。
だれを傷つけてもならぬ。
盗賊が狙うのは、現金(げんなま)だ。
現金がなければ、押しいってはこない。
現金を数えるものの一つが十露盤だが、それがどんなに名器でも、十露盤を狙う賊はいない。
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コメント
家族や愛人、友人を巻き込まないで盗賊にあきらめさせることができか、平蔵さんのふんばりどころ。がんばれ、平蔵。
投稿: tomo | 2011.01.07 06:20