先達〔市場(いちば)〕の逸平
「権(ごん)さん。〔松戸(まつど)〕の繁蔵(しげぞう 41歳)に頼んでおいた人が見つかったそうだ。いっしょに話を聞いてほしい」
下城姿の平蔵(へいぞう 37歳)が、 町駕篭〔箱根屋」の主人・権七(ごんしち 40歳)へ声をかけた。
〔音羽(おとわ)〕の元締・重右衛門(じゅうえもん 56歳)にも〔耳より〕の紋次(もんじ 39歳)にも声をかけたとつけ加えた。
「六ッ(午後6時)に〔蓮の葉〕でございますね。〔季四」でなくて、よろしいんですか?」
「〔松戸〕のへのつなぎ(つなぎ)をお蓮(はす 37歳)がつけたのだから---」
「わかりました」
三嶋宿の探索から戻って2ヶ月がすぎ、季節は立夏(りっか)を迎えていた。
小田原の貸元・〔宮前〕の徳右衛門(とくえもん 59歳)からも、嶋田宿の元締・〔扇屋〕の万次郎(まんじろう 51歳)からも、大店の世継ぎたちが江戸見物をせきたててきていると書きおくってきていた。
(物見遊山の旅じゃあないのだぜ)
平蔵としても、ないがしろにしていたわけではないのだが、とにかく暇がなかった。
やっと、熊野権現の御師(おし)を表看板にしている〔松戸〕の繁蔵をおもいだし、小料理〔蓮の葉〕の女将・お蓮に、つなぎをつけてもらった。
【参照】20101028~[松戸(まつど)の繁蔵] (1) (2) (3)
用件もつたえてあった。
もちろん、〔松戸〕の繁蔵が盗人〔蓮沼(はすぬま)〕の市兵衛(いちべえ 60すぎ)一味の男であることは承知している。
御師や先達(せんだち)の一人や二人、寺社奉行所の顔見知りにたのめばすぐ引きあわせてくれようが、〔化粧(けわい)読みうり〕の陰の板元であることは、知られたくなかった。
繁蔵が連れてきた男は、鶴見宿の熊野社かかわりで先達をしている、40がらみの丸顔で、〔市場(いちば)〕の逸平(いっぺえ)と名乗った。
「なにかあると、いっぺえやるか? ともちかけるもので、ほんとうは[いつへい]なんですが、いっぺえでとおってしまっております」
そういえば、酒好きにらしく、鼻の頭が赤じみているのも、愛嬌をそえていた。
〔耳より〕の紋次が〔化粧読みうり〕の経緯(あれこれ)を説いてきかせ、〔音羽〕の重右衛門が、江戸は浅草寺と富岡八幡宮に2日、大店まわりに2日、板木の組みと刷りの見分に1日、つごう在府5泊ということで旅程と路銀の見積もりをつくってほしい。
なお、取り分は実費の1割、旅籠と料理屋、みやげ物屋、揚げ屋からの戻りは、講を組んだところの親分衆が5分、いっぺえどんが3分、江戸側2分とこころえておいてもらいたい。
権七が、駿河組と相模組との旅程と見積もりを3日以内に〔箱根屋〕へとどけてもらいたいと、だめをだした。
最後に平蔵が、江戸がうまくいけば、京都の分も頼むつもりだ、京都は祇園をシマにしておる〔佐阿弥(さあみ)〕の角兵衛(かくべえ 50前)が相談にのる、とつけたした。
呑みながら、食いながらの打ち合わせであったから、あっというまに1刻(2時間)がすぎた。
あとは〔音羽〕の元締と〔箱根屋〕さんでつめてくれ、と平蔵が座を立つと、玄関まで繁蔵がついてき、
「〔市場〕のは、あっち(盗み)のほうにはまったくかかわりがありませんから、おこころえください」
律儀に耳打ちした。
〔恩に着る」
〔松戸〕の肩をた叩いた。
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