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2011.06.29

おまさのお産

「この書状を届けてきた者には会わなかったのだな」
平蔵(へいぞう 37歳)は、辰蔵(たつぞう 13歳)のおんな体験にはまったく触れず、本陣・〔中尾(置塩)〕の若女将と称するおんなから、出立のきわにわたされた書状について念をおしただけであった。
若女将は、〔扇屋(おおぎや)〕の万太郎(まんたろう 51歳)元締から長谷川さまへと預かったといったきりであった。

「会ってはおりませぬ」
書状に目をはしらせていた父から、
「下がってよいぞ」
辰蔵も速やかった。
さっと自分の部屋へ引き取り、父親がその脊に笑いかけていることには気づかなかった

文意は、万次郎の配下の辰次(たつじ 60がらみ)のところへ、大井川の上流の神座(かんざ)村で荷運び舟の船頭をしている梅吉(うめきち 60がらみ)がやってき、
おまささんがお産のために尾張を発ち、東国へ帰る道すがら、わしのところへ一泊した。産むなら男のひとり所帯だが村の知りあいの婆ぁにも頼めるからと止めたが、行ってしまった」
無筆に近い梅吉爺はこのことを長谷川さまへ伝えてほしいと告げにきたと。

参照】2011年5月10日[神座(かんざ)村の梅吉

ところがそれは、なんと、おまさが立ち去ってから2ヶ月もあとのことで、梅吉がおもいなやんで遅れてしまったらしい。

(嶋田宿へ出張(でば)ったときに5ヶ月目の腹であったというから、すでに産んでしまっていよう。どこで産んだことやら---)

「ほんに旅は、子どもの背丈を突然に伸びさせますなあ」
いいながら箱枕と挟み紙をもって寝間へ入ってきた久栄(そさえ 30歳)に、
おまさがややを産みに戻ってきたらしいが---」
「江戸へでございますか? ご府内にそうした縁者がいるとは、ついぞ聞いたことはありませぬが---」
久栄は、銕三郎(てつさぶろう)に代わり、おまさの手習い師匠であった。

「そのことよ。いつだったか、両親の出は下総国の印旛郡(いんばこおり)---酒々井(しゅすい)]村(現・千葉県酒々井(しすい)町)とかいっていたような---」
「20代なかばでの初産では、たいへんでございましたろう」
「うむ---」
「父親はどんな男衆でありましょう?」
「身重のおまさを独りで産み元へやるぐらいだから、情のある男ではないな」
平蔵久栄も、おまさのややの父親がすでにこの世にいないことは関知していなかった。

「産みどころがわかれば、産着の一つも贈ってあげられますものを---」
いいながら、先に伏せ、平蔵を待った。

辰蔵は、旅先で遊んだのでしょうか?」
「そのことはならぬと、日出蔵(ひでぞう )にきつくいいわたしてある」
「しかし、私の目には、女を知ったとしかおもえませぬが---」
「母ごどののこわいの目じゃな。下帯でもあらためたか?」
「存じませぬ---」
「前にもいったとおり、知らぬふりをしていてやれ」

久栄のものに触れながら、じつは、お三津辰蔵にどのような相手を選んだか、われのときのお芙沙(ふさ 25歳=当時)のように、やさしくみちびてくれた若年増であったら---回顧しているちに、久栄があわてるほど挙立してきてしまった。


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(歌麿『歌まくら』部分 お芙沙のイメージ 『芸術新潮』2010年12月号)


参照】2011年6月29日~[おまさのお産] () () () () () () () () (


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