お通の祝言
祝言を2日後にひかえたお通(つう 18歳)と渋塗り職の弘二(こうじ 22歳)が、外神田,佐久間町にある躋寿館(せいじゅかん のちに医学館)の教頭・多岐安長元簡(もとやす 31歳)の診察部屋に控えていた。
もちろん、3者とも唐様(からよう)に腰掛けであった。
【参照】2011年11月13日~[お通の恋] (1) (2) (3) (4)
2人の前には『房内編』の写本と医家向けの人体絵図が置かれていた。
写本は『房内編』の「和志(こころの和(やわ)らzh@)」の中の初夜のこころえを抜粋したものであった。
手間しごとで立派にかせいでいる職人で、22歳にもなっておんなを経験していないなんて信じられないが、弘二は事実、そうなのだ。
そりゃあ、世間の表向きは好青年という評言かもしれないが、嫁になるむすめにすれば不安でもあるし、ものたりなくもある。
そこで、お通の後見人を任じている平蔵(へいぞう 40歳)が案じ、ひそかに多岐元簡に、
「安(や)っさん。例の『房内編』で、初手のところを伝授してやってはくれまいか?」
弘二が男としてさなぎのままなのは、度胸や性欲がないのではなく、父親から仕込まれた渋塗り仕事は独りでやるものなので、遊びをさそってくれる仲間がいなかっただけのことであった。
病気がちの母親のために金もためていた。
だから、それを商売にしているおんなから手ほできを受けてこなかった。
純無垢(じゅんむく)の若者といえば聞こえはいいはずが、仕事が渋塗りという地味な職で、黒渋塗りが多いから着ているものも手足・顔も汚れやすい。
だから、仕事先で若者食いの後家連にも見逃されてきたというわけ。
さて、安っさんが2人に理解できる江戸の庶民ことばで講じた道玄子の説を、さらに現代文に置き換えると、
初床(はつどこ)のときは、双方それなりの薄着か裸で、胡坐(あぐら)か横たわっている男性の左に女性が座るかあおむけに寝る。
なぜなら、男性の利き腕(右腕)が動きやすくするため(左利きはこの逆)。
胡坐なら、女性をふところに抱き入れ、腰をしっかりかかえて、つよく感受部位(乳房や乳頭、頭、首筋、耳たぶ、背中、太腿の内側、脚の指などをやさしく刺激する。
こうしているちに互いのこころが一つなになり、男女は自然に躰をくっつけあい、口を吸いあい愉しむ。
男性は相手の唇を口にふくみ、女性は男性の上唇を含んで吸いあい、互いに玉漿(ぎょくしょう 唾液)をむさぼりあい、軽く舌を噛みあったりまさぐりあったりしてふざけたり。
唇をそっと噛むのもおすすめ。
女性の頭をだいたり、髪を指て梳いてじらすのもいい。
唇と舌は、相手の別のところ---乳首とか陰核や陰唇を愛撫するためにも活躍させる。
女性が思慮を忘れ、羞恥心がきえてきたら、男性は女性の左手で男性の玉茎をつかませ、男性も女性の玉門を指で吹笛の穴を交互にふさぐような感じで愛撫する。
安っさんが講義中断し、2人の様子をうかがうと、お通は顔に血の気をみなぎらせ、腰の芯がもぞもぞするらしく何度めかの坐わりなおしをし、膝でにぎりしめていた右のこぶしをひらき、弘二の左の甲をつかんだ。
唾をのみこみながら要点を書きとめていた弘二も、すぐに掌をひらいてお通の手に応えた。
「ここまでが前段であってな。これからが本段である。前段のことを前戯と呼んでおるが、若いと気負って前戯がおろそかになりがちであるからこころするように、な」
「先生。前戯にはどれほどの刻(とき)をあてれば---?」
「そうだな。初閨(はつねや)では半刻(1時間)といっても辛抱できまい。床(とこ)に横になってから小半刻(30分)も費やせば、花嫁のほうも受け入れの用意ができていよう。陰唇---俗にわれ目といっておる肉戸を開き、指先で愛液---世間で淫水とかおしめりとかいっているものがあふれていることをたしかめ、よしとなったらお通どのが弘二どのの硬直しているはずの玉棒をつかみ、おのれの玉門へみちびく。そのとき、陰唇をひらいておくことを忘れるでない」
「それは、おれがひらくので---?」
「いや。お通どのの役目だ」
お通がまた坐lりなおした。
顔は一層真っ赤にほてっている。
「玉門に入っても、弘二どの、先へすすんではならぬ。しばらく、入り口で待て。お通も腰をあげて求めてはならぬ」
(北斎『浪千鳥 イメージ 『芸術新潮』 2001年1月号
「北斎のラスト・エロチカ」より)
【参照】お通の、これまでの主たる登場シーンを降順に。
2011年11月13日~[お通の恋] (1) (2) (3) (4)
2011年4月26日[嶋田宿への道中] (1)
2011年3月25日[長谷川銕五郎の誕生] (2)
2010年11月11日[茶寮〔季四〕の店開き] (1)
2010年7月13日~[〔(世古(せこ)本陣)〕のお賀茂] (2) (3) (4)
2010年6月27日[〔草加屋〕の女中頭助役(すけやく)・お粂] (1) (2) (3)
2010年6月26日[〔於玉ヶ池(たまがいけ)〕の伝六]2010年6月25日[遥かなり、貴志の村] (7)
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コメント
トホ、ホ。初床の心得ときましたね。講義なさる元簡センセもご苦労ですが、聴講のお通さんのモゾモゾ、わかるわかる。22歳になるまで女知らずの弘二さん、遊所の多かった当時の若者としてはまさに珍宝(!)。
ちゅうすけさん、すごい絵を掲げてくだいました。年経たお紺さんまでが、こっそり、しげしげと眺め入りましたよ。トホ、ホ。
投稿: 柳原岩井町のお紺 | 2011.12.18 13:33
>柳原岩井町のお紺 さん
「シッ。お声が高い」
「鮒が安い」
池波さんゆずりの冗談はおいて、じっくり観察されると、北斎センセも赤らむってことでしょう。
投稿: ちゅうすけ | 2011.12.18 14:06