武具師〔大和屋〕仁兵衛
「どうであろう、〔大和屋〕。鎖帷子(くさりかたびら)の一種だが、鎖を帷子に縫いつけるのではなく、鎖を衣服のように着た上から上衣を羽織りたいのだが---」
平蔵(へいぞう 40歳)から相談をもちかけられた〔大和屋〕仁兵衛(にへえ 55歳)は、かたわらの息子・市兵衛(いちべえ 32歳)をかえりみた。
「お申しこしの衣服のごとくに躰にそってしなやかに着こなすとしますと、方寸(3cm平方)ごとの鎖枠を胴なり腕なりに添うようにつなぎあわせることになります」
市兵衛が宿題の答えをのべた。
数奇屋河岸・西紺屋町2丁目の武具・馬具師〔大和屋〕は、かねてから長谷川家に出入りしていた。
先代の亡父・宣雄(のぶお 享年55歳)がつくらせた鞍を、月魄(つきしろ)の躰形にあわせて調整したのも〔大和屋}であった。
(赤○数寄屋河岸の武具商〔大和屋〕 『江戸買物独案内〕)
西丸・徒(かち)の組頭としての職席手当てとでもいうべき足高(たしだか)の春の支給分300両(4800万円)を蔵宿・〔東金(とうがね)屋〕清兵衛(せえべえ 40前)がとどけてくれたのを機iに、老中・田沼意次(おきつぐ 67歳)からかけらけていた謎に応えることにした。
【参照】2011年11月29日[〔東金(とうがね)屋〕清兵衛の相談ごと] (1)
2011年9月11日[老中・田沼主殿頭意次の憂慮] (2)
「われの組子30人分と、われとわれの家士5名、それと愛馬・月魄のものもふくめ、130両(2080万円)でまかにってほしい」
「はい---」
「なに、われの注文分は、われのふところから出る。しかし、ご公儀もわれの組子らの鎖帷子を見、すぐに発注があろうから、損はさせない。ご公儀には、2割増しの見積りをいっておく」
「よろしゅうに---」
袖口に藤の枝花をあしらった上着と裾を縛った下短袴は、里貴(りき 逝年40歳)がよくつかっていた尾張町の恵美寿屋であつらえた。
できあがった鎖衣と帷子は、組子にはわたさず、長谷川家の蔵にしまわれ、出番がきたのは、2,年後の天明7年(1787)の江戸騒擾事件のときであった。
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コメント
リンク先の【参照】を読ませていただきました。5年以上も前から、一橋派の動きが書かれてたのですね。恐れ入りました。
投稿: mine | 2011.12.06 10:06
>mine さん
若衆と弁慶みたいな男が群集を扇動していたという資料は、実際にあったようですよ。
もちろん、いまの国家権力だって、それぐらいの詐欺まがいのことはやりかねないでしょう。
投稿: ちゅうすけ | 2011.12.06 15:31
久しぶりです 誰か呼びました?また河内の歴史話し合いましょうそれから 麻は麻佐小田原の松田も入ってます またまた
投稿: 麻誠之助です。 | 2011.12.11 14:05
>麻誠之助です。
お久しぶりです・お達者でしたか。当方は相変わらずの皆勤をつづけております。
お尋ねのお声がかりですが、いままでのところ、ございませんでした。
お忘れなく、また、お声をかけてください。
投稿: ちゅうすけ | 2011.12.12 10:10