小笠原信濃守信喜(のぶよし)
「長谷川さま---権七です」
月の光であらためるまでもなく、声も顔も旧友の〔箱根屋〕の権七(ごんしち 53歳)であった。
「権さん、こんなところで、どうした?」
「この寒さの中で立ち話をしていて風邪でもくらいこんでは引きあいません。さいわい、そこに屋台の飲み屋がございます」
耳にいれたいことがあり、三ッ目ノ橋南通りの屋敷へうかがったら、客と連れだって〔五鉄〕だといわれ、そのあと黒舟の注文があったので、入れ込みで待ってい、お連れのお客さんには聞かせたくない報らせだったので、舟が消えるのを待ってあとを追ったのだと。
「長谷川さま。大納言(家斉 いえなり)さまのお側ご用取次の小笠原若狭守という旗本さんをご存じでございますか?」
「しっているもしにないもない。小笠原若狭守信喜(のぶよし 68歳 7000石)どのといえば、有徳院殿(吉宗 よしむね)さまというより、惇信院殿(家重 いえしげ)さまのお気に入りで、いまは家斉(いえなり)さま---つまりはわれの主(あるじ)のお側衆のお一人である」
油紙を貼った腰板障子をめぐらせて北風を避けている屋台に落ちつくと、
「ご亭主。われは冷や酒、こちらは熱燗でな」
注文をとおし、相手がととのえている隙に、ひそめ声で、
「で、若狭老がどうしたって---?」
「うちの加平(かへえ 35歳)を覚えておいでですか?」
「もちろん。御宿(みしゃく)稲荷の先の〔駕篭徳〕につめてくれた若い者(の)だろう?」
「もう、若くはありやせんが---ね」
【参照】2010330~[茶寮〔貴志〕のお里貴] (1) (2) (3) (4) (5)
知りあった茶寮〔貴志〕の女将・里貴(りき 29歳=当時)のほんとうの姿をたしかめたくて、〔箱根屋〕の権七のところの舁き手・加平と時次(ときじ 22歳=当時)を近くの駕篭屋へ預けたこともあった。
それが機縁で2人は探索しごとに通じもした。
その加平が、先夜、越中橋から外桜田まで、大身らしい老幕臣を乗せた。
供も駕篭も先に返したらしく、まったくの独りというのが異様であり、降りるときに紙入れを所持していないことに気づき、門前でしばらく待たされたという。
「それで翌日、ついでもあり身元をたしかめに行ったら、なんとお側衆のお一人の若狭守さまだったというのです。前夜、出てきた屋敷が白河藩の上屋敷だったので、あっしに話してくれた次第で---」
平蔵も首をかしげた。
小笠原家は紀州藩士として吉宗の江戸城入りに随行し、幕臣となった家であった。
若狭守信喜の時に800石だった家禄を5000石にまでふくらませた。
田沼意次と比肩すると世間が噂するほど家重の信頼が篤かったし、意次も同世代の話相手として重用していた。
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コメント
本日、SBS学苑「鬼平切絵図」講座3月分を、自習にて終了したことを報告いたします。テーマは「各自の鬼平論」といただいておりました。
「まだ、まだ・・・・」と先生のつぶやきが聞こえてきたような気がいたします。最近は、鬼平と先生のイメージが重なる部分が多くなって、講座終了は鬼平終了のような感じがして喪失感でいっぱいです。
でも、まだ、このブログがあります。7年以上、1日も欠かさず更新されており、カテゴリーのナンバーは200を超える、広範囲で、ものすごいボリュームの、このブログがあります。
なかには、たくさんの課題を提示していただいております。「まだ、まだ・・」のわたしは、ブログを見るたびに、新しい発見をしております。きっと、いつまでも、何度でも、ここに、戻ってくることになると思います。
長い間の懇切なる、ご指導にたいしまして、心からの感謝を申し上げます。「ありがとうございました。」
追伸
入口は、確かに、「鬼平ワールド」って書いてあったんですよ。ときどき「池波ワールド」かな、と感じることもあったんです。でも、今、いる所は、間違いなく、「西尾ワールド」なんです。バカに広くて、深くて、居心地もいいのですよ。話が違う、というのは、いいがかりというものですよね。
投稿: 安池 | 2012.03.04 19:43
>安池 さん
ラスト・クラスの懇切なリポート、ありがとうございました。
2月のクラスまでは、まあまあだったんです。ところが直後の検診で、がんの進行が老人には珍しく急速で、余命2ヶ月と診断され即、入院、手術となりました。躰の若さが仇となった感じです。
いまは、かすかな声しかだせないので、講義は無理。せめて、退院後の図書館通いを夢にみています。
「西尾ワールド」とご命名いただきました。
せっかくの誇らしい命名にそむかないよう、余命のあるかぎり、このブログでつながっていきたいと、決意ほあらたにしました。ご教導ください。
クラスのみなさんにも、機会があったら、よろしくお伝えください。
投稿: ちゅうすけ | 2012.03.06 06:50
やっと打てました。(゚ー゚)
投稿: 落合 | 2012.03.10 00:13
SBS学苑 鬼平講座の最後の講座で「先生へ感謝のメッセージを送りたいが、パソコンは苦手だから 」という話がありました。
コメント欄の「内容」のところの絵文字・顔文字を表示された、先生のお気持ちを話しました。
本当は、お見舞いの花束の絵文字を表示したいということでしたが、その方法は、私も知りませんでした。
顔文字でも先生には、伝わるのでは、と話しました。
パソコン苦手の落合さんが、午前零時までかかって絵文字をいれた、想いが届くようにと、余分なコメントをいれました。
投稿: 安池 | 2012.03.10 10:42