将軍・家治の体調(2)
「お上のお具合がおよろしくない――? それはどういうことだ?」
「しッ! そんな声をだすなッ。隠し目付の耳にでもはいったら大ごとになる」
浅野大学長貞(ながさだ 40歳 500石)が制した。
「すまぬ」
平蔵(へいぞう 41歳)が素直に謝った。
ちょうど、女中が酒をささげてきたので、2人とも会話をひかえた。
「帳場からの差し入れのとりもつ煮でございます。主人の国許のしもじもの酒の肴で、お店の品書きには載せておりませんが、長谷川さまのご先代のお好みでございましたので、ご当主さまがおわたりくださるというので、とくべつに手配いたしました」
長貞が一切れを口にし、
「甘露。軍鶏の肝の甘煮に似ているが、こちらのほうが歯ごたえがあって雛びている。平(へい)さん、どうだ?」
「亭主どのの国許はたしか、古府中(甲府城下)であったように覚えておるが---」
平蔵が女中にたしかめた。
「はい。私もそのご縁でこちらへ---」
「甲州おんなは情が深いと申すから、亭主どのは満悦であろう」
平蔵の軽口をまともにとった女中がおもわずもらしてしまい、顔を赤くして引きさがった。
「平さん。さきほどの話のつづきだがな、4月の11日の王子村でのご放鷹のおり、お顔の色に黒味がさしておっていつものご精気が感じられなかったのだよ」
「小姓組の古参番士として、中奥小姓にお膳のすすみぐあいなどたしかめてみたか?」
「いや。そこまで踏みこんでは、分にすぎる」
長貞のいなしに、もっともとうなずいておき、
「西丸の側用お取次・小笠原若狭(守信喜 のぶよし 68歳 5000石)老についてなにか聴いていないか?」
「なにかって、なにをだ? 今宵の呼びだしの本筋はどうやら若狭老らしいな」
【参照】2012年3月4日~[小笠原若狭守信喜(のぶよし)] (1) (2) (3) (4) (5) (6) (7) (8) (9)
たいしたことではないが、といった感じでさらりというのが長貞が癖であった。
だから周囲の者は、浅野はいつ本気になるのだろうとささやいている。
浅野内匠頭長矩(ながのり 享年35歳)がすぐに沸騰する気質の持ち主で、結局、5万石を棒にふり、47人の旧家臣を切腹にまで追いこんだ例をいましめとし、本気をみせないことを家訓のひとつとし
ていた。
「平さん。本丸の側用お取次の横田筑後(守準松 のりとし 53歳 6000石)どのは注意の外なのだな?」
「逆に訊きたい、筑後どのになにか ---?」
おもいもよらなかったのであろう、平蔵の表情が一瞬、硬くなった。
(用取次・横田筑後守準松の個人譜)
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