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2005.07.24

〔瀬川(せがわ)〕の友次郎

『鬼平犯科帳』文庫巻18に入っている[草雲雀]で、目黒・権之助坂の中ほど、上覚寺(現在はない?)の門前茶店ともいえる〔越後屋〕の隣の、煙草ほかのこまごました品を並べている〔かぎや〕は、女房のおきぬが店を仕切っており、亭主の友次郎は旅商いというふれこみで留守をしていることが多いが、じつは一人ばたらきの盗人で、仲間うちでは〔瀬川(せがわ)」の---と呼ばれている。

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年齢・容姿:42歳。引きしまった細身の躰。
生国:下野(しもつけ)国都賀郡(つがこうり)瀬川村(現・栃木県今市市瀬川)。
近くの今市村(現・今市市今市)からは、宇都宮を本拠とする盗賊の首領の〔今市(いまいち)〕の十右衛門が出ているが、〔瀬川〕の友次郎は3ヶ条の掟てを守りきっているので、つながりはない。
(参照: 〔今市〕の十右衛門の項)

探索の発端:[俄か雨]で、茶店〔越後屋〕の寡婦お長と乳繰りあった同心・細川峯太郎が、目黒村にある菩提寺・感得寺へ墓参した帰り、〔かぎや〕から出てきた友次郎と立ち話をしている男、片方の耳たぶのない〔鳥羽(とば)〕の彦蔵(37,8歳)、が、人相書にそっくりと気づいた。
彦蔵はお長の茶店の隣の〔かぎや〕へ入ってゆき、昼間なのに戸が締められた。「あやしい」と睨んだ、細川同心の監視がつづく。

一方、〔瀬川(せがわ)〕の友次郎が訪ねたのは、芝・三田2丁目で眼鏡師の看板を出している市兵衛(70に近い)の家であった。かつて本格派の〔蓑火(みのひ)〕の喜之助の下でともに盗(つと)めた仲である。
(参照: 〔蓑火〕の喜之助の項)
その市兵衛に友次郎は、上方の盗賊〔西浜(にしはま)〕の甚右衛門一味を助(す)けて南堀江町5丁目の砂糖問屋〔和泉屋〕を襲ったとき、むしぶりついてきた手代をふりはらったら、倒れた拍子に大台所の石畳に頭をぶつけて死んでしまったので、それを悔いて悩んでいた。
(参照: 〔西浜〕の甚右衛門の項)

結末:市兵衛に慰められて帰宅した友次郎を待っていたのは、彦蔵の棍棒だった。その異常な様子を監視していた火盗改メが踏み込んで、彦蔵は逮捕。

つぶやき:久しぶりに、『鬼平犯科帳』の主旋律の一つともいえる、3カ条の掟てを守っている盗人が登場したが、時代にあわないか、撲殺されてしまう。どこかで、『鬼平犯科帳』は変質を始めているのかも。

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コメント

上覚寺について

西尾先生の『鬼平犯科帳』は変質を始めているのかもというつぶやきを支持するような事実を見つけました。権之助坂にあった上覚寺というお寺ですが、この名前は尾張屋版に出てくる名称であって、池波さんが愛用されていた近江屋版では浄覚寺となって
いるということです。鬼平犯科帳の執筆には近江屋版を使用したと教わりましたので、気になりましてコメント致しました。

投稿: 新兵衛 | 2005.07.24 11:15

お寺がかなり見つかった充実感からか、(自分が見つけたのはひとつだけど)当分考えるのはやめようと思った矢先に新兵衛さんのコメント。
昨夜頑張って検索してみました。
出てこない・・・
近所のお寺はHITするんですけどねー
なかなか難しいです。

瀬川の友次郎と関係のない記事で失礼

投稿: 豊島のお幾 | 2005.07.25 08:36

目黒区「上覚寺」さん。
近江屋板では「浄覚寺」。
『目黒区史』p.370。より。
『新編武蔵風土記稿』に
 禅宗 久林山 浄覚寺 
 本尊・毘沙門天。
平井權八が、かくまわれたのは、この寺といわれたいると。
このお寺さんは、私に探して欲しかった様な気がしました。
なぜって名所図会の「富士見茶屋」を今回塗り絵したばかりだったからです。「富士見茶屋」は「浄覚寺」門前だったからです。

投稿: 相州藤枝宿の太兵衛 | 2005.07.27 03:48

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