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2007.12.03

多可の嫁入り

「父上、多可(たか)の婚儀のことにつき、少々、お訊きいたしとうございます」
銕三郎(てつさぶろう)が、思いつめた面もちで切りだした。

宝暦11年(1761)の晩夏のことである。
16歳になっていた銕三郎は元服もすまして宣以(のぶため)と名乗っている。そろそろお目見(みえ)の年齢である。
父の平蔵宣雄(のぶお)は44歳。小十人組・5番手の頭となって3年目で、組下のものたちからの評判もよい。

多可がどうかしたか?」
「どうもいたしません」
「では、なにが訊きたい?」
多可の婚儀の相手です」
水原(みはら)保明(やすあきら 200俵 小普請組)どのが、なにか?」
「あちらは、40歳というではありませぬか」
「それがどうした?」
多可は、手前とおなじ、16歳です」
(てつ)は去年は15歳であった。多可もおなじ15歳。ことし、揃って16歳になるのは、とうぜんのことだと思うがの」
「そのようなことを申しているのではありませぬ」
「なにを言いたい?」
水原さまには、前妻がいらっしゃいました」
「その奥方は、昨春に薨(みまか)られた」
「つまり、その---多可は、後妻(のちぞえ)ということになります」
「後妻といっても、前妻には世嗣ができなんだ」
「しかし、多可は初めての嫁入りです。なにも、40男の後妻にいかずとも、ほかに---」
「控えよ、銕三郎ッ。お主が出しゃばる事柄ではない!」

普段は温厚な宣雄が、この時は、目尻を朱にして声を荒立てた。
銕三郎は、もうそれ以上は異をとなえなかった。

あくる日、銕三郎は、多可に言った。
「ほんとうに、嫁(い)ってもいいのだな」
「はい」
「先方は、40歳だぞ」
「兄上。武家のおなごは、決めらたことに従うものと心得ております」
「む」
「兄上のおこころざしを、多加は終生、忘れませぬ」

参考
2007年8月[多可が来た](1) (2) (3) (4) (5) (6)
ー (7)

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