〔盗人酒屋〕の忠助(その3)
忠助(40がらみ)の〔盗人酒屋〕を出た5人は、竪川(たてかわ)に架かる四ッ目の橋をわたり、本所から深川へ入っていた。
田んぼの畔(くろ)につくられた南にまっすぐにのびている道である。
昼間なら左手に広い猿江御材木蔵の樹林がのぞめるのだろうが、星明かりでは冥(くら)い気配でしかない。
行く提灯は2個。
一つはおまさ(10歳)が銕三郎(てつさぶろう 20歳 のちの鬼平)の足元にさしかけている。
もう一つは、岸井左馬之助(さまのすけ 20歳)が、お紺母子を導いている。
お紺(26,7歳)は、左馬に語りかけるというより、自分に愚痴っているのだ。何か言っていないと落ち着かないのであろう。
「甘いものに、まるで敵(かたき)みたいに目がない亭主(ひと)だった---そのうえに、お酒もきりがなくって---躰に毒だっていくら言っても聞くものですか---小水にまで蟻(あり)がむらがるようになってきていて、躰もがたがた、亭主としての役(えき)もできなくなっていたのに---いつかは、こんなことになると、恐れていたんだ、わたし---」
御材木蔵の南はずれをすぎた三叉路で、銕三郎とおまさの組はそのまま直進して小名木川(おなぎがわ)土手を右に折れる。
お紺母子と左馬之助の組は三叉路を左へとって、慈眼寺の山門へ行く。
(慈眼寺 小名木川 横川 猿江橋 新高橋 扇橋 尾張屋板)
その三叉路で、それまで、一と言も口をきかなかったおみね(6歳)が、
「わたち、まさねえちゃんといっしょに、行きたい」
お紺の気持ちが動揺しているのに、幼いながらに、耐えられなくなったのだ。
母親も、うわの空で、
「そう、おし」
銕三郎・おまさ・おみねは、左手に曲がったお紺と左馬之助を見送ってから、扇橋へ向かう。
銕三郎が、
「おみねどのは、父上の親御どのの家のある助戸(すけど)へ行ったことがありますか?」
「ううん」
「おみねちゃん。ありません、でしょう?」
おまさが齢上らしく教える。
「---ありましぇん」
「お父上の名は?」
「〔まんぞう---まんは、ひとうつ、ふたあつ、のうんとさきのまんだって」
(そういえば、お紺も、〔助戸〕は村落名だと言っていた。仲間内の、いわゆる、通り名なのだ)
「そうか。万蔵さんか。足利(あしかが)では、絹糸をつくっていたんだ」
「ちがう。父(と)っちゃんは、べべ(呉服)をう(売)った」
「売っておりました、でしょう?」
「---おりましゅた」
(与詩とやった道中の再現だな)
「売っていたのは、ご府内で?」
「ちがう。あちこち。だから、いないこと、ばっかし」
小名木川の北堤へ出る。
左に折れると、名高い五本松に行き着く。
銕三郎たちは逆に右へあゆむ。
小名木川の音もなくゆっくりと動いているいる流れは、いまの時刻は、大川の方へだろうか、中川口へだろうか。目をすましても見えない。
舟行灯をつけた西行きの舟と並ぶように、銕三郎たちも小名木川が横川と交差する猿江橋へ。
おみねは、おまさの手をしっかり握っている。
「おまさどの。扇橋の繁三というのは?」
「おみねちゃんのお父っつぁんのお友だちです」
「すると、呉服のほうの?」
「それは知りません。うちの店で、よく、いっしょに呑んでいました」
「じゃ、呑み友だちなんだね」
とつぜん、おみねが口をはさむ。
「仕事仲間でしゅ」
「ほう、仕事仲間---?」
「おみねちゃん。たしかじゃないことを、よその人に言ってはいけません」
「たしかでしゅ」
それきり、おまさは口をつぐんでしまった。
(深入りしすぎて、警戒されたかな。それほども深入りしたとはおもえないが---)
小名木川を横ぎっているのが横川である。
西のかなたにある江戸城に対して、横(南北)に流れているようにつくられた。
こちら側から小名木川の対岸へ行くには、猿江橋、新高橋と¬(かぎ)の字にわたり、さらに扇橋へという手間をとる。
3橋のとっかかりの橋行灯が、ぼんやりと所在を教えている。
猿江橋の手前で、おまさが、
「お客さん、提灯をお持ちになって、ここで、おみねちゃんとともに待っていてください。これは、点(とも)し替えの代わりの蝋燭です」
たもとからの蝋燭を一本よこすと、さっさと猿江橋をわたって行った。
銕三郎に有無をいうすきを与えないほどに、水際だった行動であった。
待つあいだに、銕三郎は、おみねに話しかけてみた。
「おみねどのの母上も、助戸の生まれかな?」
「ちがう---ちがいます」
「ほう。どこかな?」
「ものい、でしゅ」
「ものい?」
「うん---そうでしゅ」
(ものい---とは、どんな字なのだろう。「もの」は「物」として、「い」は「井」でいいのかな? それとも「物言(ものいい)」をおみねが言いちがえたか?)
おまさと男2人があらわれた。
提灯の明かりがとどくようになると、35,6歳にみえるほうに、おみねが呼びかけた。
「かばちゃき〔樺崎〕のおじちゃん」
男は銕三郎に目礼をしただけで、無言のまま先に立って歩きはじめたので、みんなしたがった。
銕三郎は、
(死んだ男が〔助戸(すけど)〕の万蔵(まんぞう)、それと関係のあるのが〔法楽寺(ほうらくじ)〕、この男は〔樺崎(かばさき)〕の繁三(しげぞう)---それと、〔名草(なぐさ)〕のなんとやら---明日にでも、高遠(たかとう 41歳)〕次席与力にたしかめてみよう}
反芻しながら、先を行く〔樺崎〕の幅のひろい背をみている。
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