お静という女(4)
朝七ッ半(午前5時)すぎ。
さすがのお静(しず 18歳)も、きのうの夕刻前から夜半までの睦みごとの疲れがでたか、唇をぽっちりとあけて眠りこけている。
銕三郎(てつさぶろう 21歳)は、衣紋架けから着物と袴をおろして、きのうの夕立でできた小皺を、手のひらで軽くととのえ、脇差だけを腰に、家を出た。
隅田(すだ)村から大川ぞいに南へ2丁で法泉寺。
その北側に点在する農家の一軒で、前庭の鶏にえさをまいている老婆に、ゆうべ、物置に投げこんでおいた仙吉と長次郎のことを訊くと、
「あの悪がきどもが、また、なにかしでかしょりましかい?」
抜けた歯のあいだから、はじきだすようにつぶやく。
(たしかに、この辺の若者だな)
「いや、なに---たいしたことではありません」
しかし、老婆は耳をかさない。
「あの悪がきども、うちの鶏を2羽も盗みおってからに---のお、お侍さん」
銕三郎は、そうそうに引き上げた。
蚊帳の中から太刀をとって腰へ落とし、物置をあけて2人の足のいましめを小柄(こづか)で切ってやる。
「お主(ぬし)ら、婆さんの飼っている鶏を盗んだんだってな。火盗改メに注進すると、50叩きだな。そうされたくなかったら、鶏の代金を婆さんに払うことだ」
「あのぅ糞婆ぁ」
「なにか言ったか?」
「いえ。こっちのことで---」
「それから、ゆうべのことは、お頭(かしら)には内緒にしておいてやる。もし、お主(ぬし)らの密告で、火盗改メがこの家を探りにきたら、お主らの命はないものとおもえ。〔狐火〕一味は30人からいるのだ」
「おねげえがごぜえます。〔狐火(きつねび)〕とかのお頭へ、おれたちを配下にと、口をそえてくだせえ」
「ばかッ! お主らみてえなドジが、一味にはいれるものか。掟はきびしいのだ。女には手をださない。殺傷はしない。盗(と)られて困る者からは盗らない---この三ヶ条のうち、すでにお主らは二つも破っておる。婆ぁさんは鶏を盗られてこまっていたぞ。ま、身をつつしんで、三つの掟が守れるように修行しておけ」
「へえ」
2人は、ぺこぺこと頭をさげて帰っていった。
(これで、逆うらみはしないだろうが---)
井戸で水を汲んで、台所の水甕(みずかめ)を満たしていると、お静があらわれた。
「早くから、すみません。お里の仕事がなくなってしまいます」
「そのお里とやらの小むすめは、何刻(なんどき)にくるのかな?」
「七ッ(午前8時)です」
「それまでに、消えておかないと---」
「では、いそいで朝の支度をしますから、蚊帳の中で待っていてください」
「蚊帳?」
「蚊がひどいんです」
「分かりました」
(歌麿「蚊帳の内と外」部分 お静のイメージ)
「だいじょうぶです。もう、中へははいりません。はいって、お目ざのウマウマをいただきたいのはやまやまですが、お里がきてしまいますから」
蚊帳からでると、ゆうべののこりの飯を白粥にしたものと、梅干、きゅうりの糠漬けが膳にのっかっていた。
「どうして、白粥を?」
「おまさちゃんに聞いていたんです。長谷川さまの朝は白粥と梅干だって---」
「そんなことまで、話題になっているのか?」
「だって、2人とも、手習い子ですもの。会えば、先生の話です」
「ゆうべの賊だが、ここから近い寺島村の若者でね。もうこないとはおもうが、〔狐火(きつめび)〕が戻ってくるまで、おまさどののところへでも避難しておく?」
「それより、銕(てつ)さま。今夜、用心棒に雇われてくださいませんか?」
「用心棒? 高いですよ」
「前金でお払いします」
お静は、用意していた紙包みを手渡した。
「いつもお帰りの時にお使いになっている船宿〔桜木屋〕の舟は、お使いにならないで---橋場の渡しで向こう岸の船宿か舟駕籠(舟ハイヤーのようなもの)の舟をつかってください。きょういらっしゃる舟も、いつもの〔秋本〕じゃない舟宿の舟できていただけますか?」
「わかった。そのようにしましよう。〔瀬戸川(せとがわ)〕の源七(げんしち)は勘がするどいから、船頭や船宿に手をまわしていないでもないからね」
【参照】[〔瀬戸川(せとがわ)〕の源七の項
2008年5月28日~[瀬戸川(せとがわ)〕の源七] (1) (2) (3) (4)
それぞれの船宿には、手習い出張師範用として、あらかじめ、源七が半年分の賃銀をわたしている。手習い師範代よりも舟賃のほうがはるかに高い。
寺島村の渡し場から対岸の橋場までの大川のわたし賃の6文は、銕三郎は武士なので払わなくてもいい。
橋場では、〔水鶏(くひな)屋〕という店名がおもしろかったから、この船宿の舟をたのんだ。
季節の野鳥の水鶏は、橋場の名物で、〔水鶏屋〕は、鳥が好む池をつくっているのだと、船頭が教えてくれた。この鳥の鳴き声はかわっていて、戸をたたくような、コツコツと鳴く。銕三郎はまだ、聞いたことがない。
お静がくれた用心棒代の紙包みを開いて、〔水鶏屋〕へ用舟賃を前払いした。
元禄二朱金が4枚(2分=半両)と、寛永通宝4文銭が20枚入っていた。明和南鐐2朱銀が鋳造されたのは6年後のことだ。4文銭も入れてくれるとは、細かいこころづかいである。
(実物大 弘文堂『江戸学事典』より)
南本所の菊川橋まで、2朱金(約2万円)わたして、釣りを360文(1文=約32円)もらった。
船頭へのこころづけには、この中から50文に4文銭を2枚も足してやれば十分すぎるほどである。
ずいぶん、物の値段があがった。
夕方持参する寝着の浴衣を買っても、だいぶのこる。
最初は、家で使っている寝着をもっていこうと考えたが、やはり、真新しいので睦みあったほうが礼にかなっているようにおもった。なにが礼だか---。
(そうだ。橋場の料亭で、酒の肴をあつらえて、おみやげにしよう)
もともとはお静の金なのに、気が大きくなっているのが、自分でもおかしかった。
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コメント
江戸時代の通貨がわかりにくくっていつも迷ってしまいます。
今日のように図会が載っていると理解しやすいですが、時代でちがうし、金、銀もあるし現代と換算はもっと難しいですね。
投稿: みやこのお豊 | 2008.06.05 08:26
今日との換算は、物価の平均を出すための調査対象がまるで異なるのと、バブル後に比較的安定していた物価・地価がもたも高騰をはじめているので、専門家でも換算は困難でしょう。
ただ、かつての大蔵省の知り合いに頼んで、ハガキの値段の経年変化を調べたことがあるんです。
明治初期、5厘だったハガキが、いま50円---なんと1万倍です。
そういえば、ある人に頼まれて、江戸-大坂の飛脚の料金も調べたことがありました。
投稿: ちゅうすけ | 2008.06.05 13:31