〔蓑火(みのひ)〕のお頭
「待ちわび、待ちわびて---って感じがよく出てますでしょ? きのう、きょうあたり、あたしの顔にもでてるって、お栄(えい 35歳)さんが、冷やかすんですよ」
甘えた声で、目をきらきらさせながら、お仲(なか 33歳)が、絵草紙をつきつけた。
雑司ヶ谷の鬼子母神脇の料理茶屋〔橘屋〕の、いつもの離れ屋である。
(北斎『ついの雛形』部分 イメージ)
お仲が宿直(とのい)の5の日の夜を、2回ばかりつづけて抜かした銕三郎(てつさぶろう 22歳 のちの鬼平)へ、恨みごとをぶつけている。
若い恋人に嫌われたくないために、強くは言わない。
「それより、さっき話しかけた、〔みのひ〕とかいう客のことを、もうすこしくわしく聞かせてくれないか」
銕三郎の言葉づかいも、いつからともなく、持ちあじだった丁重さが失せ、情人(いろ)めいてきている。
お仲としては、自分が独りじめしているみたいで、それも嬉しい。
銕三郎がうながしたのは、10日ばかり前にきたという4人づれの客のことである。
「だから、言いましたでしょ。先(せん)に若さまに頼まれてた、それらしい仲間とおもえたんです」
4人づれは、男3人と大女であった。
【参照】2008年8月14日[〔橘屋〕のお仲] (1)
50すぎの小男が、〔ようさぎ〕と呼ばれていた。
もうひとりの、〔みのひ〕という小男のほうは、40代半ば。
40前後で、上方弁を話す大女が、お千代。
【参照】お千代は、生前、夫の〔伊賀(いが)〕の音五郎が、まさかのときには〔蓑火〕を頼れとすすめておいた。そうしたら、大女の好きな〔蓑火〕がほおってはおかなかった。『鬼平犯科帳』巻1[老盗の夢]p157 新装版p166
まだ10代のおわりとしかおもえないのは〔ようさぎ〕の息子の角右衛門。
お千代に江戸見物をさせるために下(くだ)ってきていた〔みのひ〕が、おもいついて、〔ようさぎ〕親子を招いたらしい。
「女将さんがやっておいでの〔すすきや〕でもよかったのですが、それではご祝儀になりませんから---」
話しぶりからして、息子・角右衛門が、いよいよ、仕事(つとめ)の門出というのを祝って、2人を上座にすえての振るまいらしかった。
「そこまで察したところで、座を外してくれ---といわれ、部屋を出されました」
「あとで、お栄さんに訊いたら、〔すすきや〕って、本郷台地はずれの根津権現門前町の有名な料理屋のことではないかって。お栄さんと同じ名の人が女将さんなんですって。これで全部---。最初は、着たままで---ひんめくって」
翌日。
高杉道場の帰りに四ッ目通りの〔盗人酒屋〕で、亭主・〔鶴(たずがね)〕の忠助(ちゅうすけ 45歳前後)に、〔みのひ〕と〔ようさぎ〕という者のことを訊いてみた。
「銕っつぁん。どこで、その名を?」
「どこって---小耳にはさんだので---」
「お耳に入ったのなら、はっきりお話したほうがよろしいでやしょう」
〔みのひ〕は〔蓑火〕の喜之助(きのすけ 45歳)のお頭だと。
盗人の世界では、神さまみたいに崇(あがめ)られている頭目とも。
なぜというに、まっとうな盗賊なら守らなければならない三つの戒律(おきて)---、
一 盗まれて難儀゛するものへは、手を出すまじきこと。
一 つとめをするとき、人を殺傷せぬこと。
一 女を手ごめにせぬこと。
(短篇[白浪看板](『にっぽん)怪盗伝』角川文庫より)
をきちんと守っているばかりでなく、何十人と仕込んできた配下の者たちにも守らせている金箔(きんぱく)つきのお頭である。
おきてを守ったおつとめということにかけては、〔ようさぎ〕、すなわち〔夜兎〕の角五郎お頭も人後(?)に落ちないが、配下を仕込んだ員数では、〔蓑火〕のお頭には、とうていおよばない。
あっしも、もっと若ければ、〔蓑火〕のお頭に頼んで一味に加えていただきてえ、とおもっとるぐらいである。あっしより、2つほどお若いのでやすがね。年齢じゃあねえんで。品格ちゅうもんで。
「あっしゃ、あの世界からは、もう、すっきりと足を洗っとるから、おもっとるだけでやすがね。で、お会いになったのでやすか?」
「いや、小耳にしただけ---なんでも、上方から、江戸見物にきているとか」
「銕っつぁん。それはおかしい。〔蓑火〕の一味は、江戸でも大きなおつとめをいくつもやっていやす。江戸は知りつくしておいでのはずでやす」
「お千代とかいうおんなに、江戸を見物させているのだそうです」
「ちょっと。銕三郎の銕っつぁん。水くさいですよ。お会いになったのでやしょう?」
「鬼子母神にかけて、会っていませぬ」
「ははん。道理で、お疲れぎみのようすなんだ」
「なにが言いたいのですか?」
そのとき、2階から手習い草紙をもったおまさがおりてきた。
「銕(てつ)おっ師匠(しょ)さんの銕の字、書けました。仲って字も---」
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