〔蓑火(みのひ)〕のお頭(7)
「高輪の牛舎は、どのように襲われたのでございますか?」
銕三郎(てつさぶろう 明けて23歳 のちの鬼平)は、〔中畑(なかばたけ)〕のお竜(りょう 明けて29歳)の海上連絡のことを隠すためもあって、牛舎に話題をふった。
なぜ、お竜を隠したいのか、はっきりとは自分でもわかっていなかった。
この女男(おんなおとこ)は、自分の手で探索してみたいとおもっていたのかもしれない。
お頭の本多采女紀品(のりただ 明けて55歳 2000石)にうながされて、書き留め役同心・加藤半之丞(はんのじょう 30歳)が、
「日本橋から南を担当している荒井(十大夫高国(たかくに 明けて59歳 廩米250俵)組へ訊きに行った者の報告ですが---」
と前置きして話したところによると---。
泉岳寺などの除夜の鐘がなりはじめたとき、番人小屋へ入ってきた3人組が、番人を棍棒でなぐって気絶させた。番人の意識がもどってみたら、手足をぐぐる巻きに縄でしばられ、おのれの手ぬぐいで口にさるぐつわを
かまされており、松明をつけられた牛は暴走したあとであった。
牛舎にはいつも1000頭近い牛がいるが、どれもふだんはおとなしい。
角への松明は、火をつける前にしばったのであろう。
そうでないと、いくらおとなしい牛どもだって、火をみれば暴れるはずである。
牛が、まだ燃えて松明をおとなしくつけさせたのは、牛の扱いによほどに手なれた者が一味にいたにちがいない。
牛を扱うのは、天竜川から西の農家に多いから、賊の一人は、そうであったのでは---。
「なんとも、はっきりしないことしか、聞けなかったようです」
加藤同心の話はこれで終わった。
「牛舎は助役(すけやく)の荒井どのの縄内だが、賊に入られた茶問屋の〔旭耀軒・岩附屋〕は、こちらの縄内だから、上からの督促は、どうでも、わが組にくるのですよ」
お頭の紀品は、にが笑いとともに言う。
「ご心中、お察しいたします。及ばず゛ながら、なにか聞きこんだら、加藤どのへお報せしましょう」
しばらく雑談をしてから、宣雄と銕三郎は、本多邸を辞した。
永代橋をわたったところで、騎上の宣雄に、
「父上。ちょっと用をたしていきますので。桑島(友之助 32歳 若侍)、たのんだぞ」
「今夜は、雑司ヶ谷か?」
いまでは、家臣あいだでも、公然たるものであった。
〔須賀〕はきょうから、店をひらいているが、この時間(午後5時半)では、ほとんど客はいない。
亭主の〔風速(かざはや)〕の権七(ごんしち 明けて36歳)は、元旦に長谷川邸へ年詞にきていたので、あいさつは抜きで本題に入った。
(三島遺跡図 東海道筋の本陣〔樋口〕と脇本陣〔世古〕)
「女将(おかみ)どの。三島の本陣〔樋口〕にいたころに、向いの脇本陣〔世古〕の女中たちは、女男(おんなおとこ)の賀茂っていいましたか---あのおんながどういうことをしていたか、話しませぬでしたか?」
「どういうこと、と申しますと---?」
「おんな同士のあのほう---」
「さあ。聞いていませんねえ」
「雨女(あまめ)のお時は、女将どの、なにかしかけましたか?」
権七が口をはさむ。
「あのときは、お時がお須賀(すが 明けて30歳)の手をにぎろうとしたところを、あっしが目ざとくみつけて、声をかけて、やめさせてしめえましたんで---」
【参照】2008年6月8日~[明和3年(1766)の銕三郎] (2) (3)
「じつは、女男がものをかんがえる筋道をしりたいとおもってね」
「女男だろうと、かんがえる筋道がとりわけ異なってるってこたぁ、ねえでやしょう。天井がゆれてたのが、畳の目がぼやけるのに変わっただけのことでさあ」
「なるほど。逆さにかんがえればいいってことか」
年があらたまって、最初の5の日であった。
銕三郎とお仲(なか 34歳)は、いつもの離れで宿直(とのい)の夜をすごしていた。
酒も肴もあった。
肴は田にしの酢味噌和(あ)えであった。
歯ごたえがこりこりしていて、噛んでいるいに酢味がひろがる。
お仲が手酌しながら、
「元旦からお節(せち)振舞いつづきで、きょうあたりから、やっと常にもどったんですよ」
銕三郎は田にしを含み、
「拙の口に、よく合う。ここの板長どのの腕はすばらしい」
「源さんに、伝えときます」
「このあいだ、女男のこと、お訊きなりましたね」
「目覚めていたのか?」
「夢うつつ。あたってみたんです、お栄(えい 明けて36歳 女中頭)さんに。前にいた女中(こ)にいたんですって---」
「ほう」
「お栄さんにも言い寄ったので、辞めてもらったって---」
「いくつくらいの女(こ)だっんだろう?」
「1年前に、27とか8とか---」
「名は?」
「おりょう」
「なにッ!」
おもわず、銕三郎は身をおこした。
「うそ」
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