『鬼平犯科帳』Who's Who

{「お竜（りょう）」とそのおんなの名を告げられた瞬間、おもわず身を起こした銕三郎（てつさぶろう　明けて２３歳　のちの鬼平）を、お仲（なか　明けて３４歳）は、やさしく押したおし、
「うそ」
入れ替わりに、謝るつもりで、お仲のほうが身を起こした。
ついさっきの行為のなごりで、寝着の胸元が大きくはだけ、銕三郎に、もう、呼びかけている。

（国芳『江戸吉原源氏』口絵　部分　イメージ）

「驚かして、ごめんなさい。だって、あなたが、寝言でおりょうなんて人の名をお呼びになるんですも、憎らしくって---」

お仲は、齢がいもなく、涙をうかべている。
「会ったこともない、おんななのだ」
銕三郎は、お仲の手をとって横に伏せさせ、寝着の下から背中をなぜて、慰める。

去年の秋、座敷をした、〔蓑火（みのひ）〕の喜之助（きのすけ　４５歳=当時）と上方弁で話すその情婦・大柄な千代（ちよ　４０歳すぎ=当時）、小男の〔夜兎（ようさぎ）〕の角五郎（かくごろう　５０歳すぎ）とその息子・角右衛門（かくえもん　１８歳）の怪しい４人客のことを、お仲が、寝物語りに銕三郎へ話した。

〔通り名（呼び名という）〕から、盗賊らしいと察しをつけて、元盗賊の〔盗人酒場〕の亭主・〔鶴（たずがね）〕の忠助（ちゅうすけ　４５歳前後）に訊いてみると、〔蓑火〕は、盗賊も盗賊---盗賊仲間うちでは神さま扱いされている金箔（きんぱく）つきの巨盗とわかった。

銕三郎は、なぜか、〔蓑火〕一味を支えている幹部衆の中でも、〔中畑（なかばたけ）〕のお竜（りょう）という、美人で女男（おんなおとこ）という、（明けて）２９歳の軍者（ぐんしゃ）に気をそそられた。（歌麿『婦人相学十躰』部分　お竜のイメージ）

お竜は、甲州・八代郡（やつしろこおり）中畑村の木こりのむすめに生まれた。
とはいえ、銕三郎の見るところ、、餌食にする店の嘗（な）め、引き込みとの連絡（つなぎ）の手くばり、一味の召集の呼びかけと盗人宿と宿のつなぎ、押しこみ当日の天候の予想や月の出入りの時刻、当日のあれこれの指示の徹底など---なにより大きいのは、お頭のかかげている盗みの戒律（おきて）の周知までも段取りをつけ、とりしきっているらしいこと。

「ここにいた女男の女中の名は、お勝（かつ　２７歳=当時）でした。あなたのお竜さんの名とは似ても似つかない。でも、きれいな人だったようですよ。ふ、ふふふ」
内ももを、銕三郎の股にさし入れながら、お仲が、甘い声でささやく。
「ばか。妬（や）く奴があるか」

３０女らしくたっぷり量感のあるお仲の乳房を掌で柔らかくなぶりながら銕三郎は、忠助が言った、「ふくよかなおんなぶり」のお竜の頭脳の働きの筋道を推察している。
（これは、お仲に聞かせても、理解すまい）

【ちゅうすけ注】嘗（な）め（事前調査）とつなぎ（連絡・通信）に、イメージ造成（広報・宣伝）を加えれば、ほとんど近代マーケティング活動だ。
いや、〔蓑火〕の喜之助は盗人の神さまということが、盗賊世界に流布されているのだから、まさにマーケテイングの具現。
リクルーティング・コストも、きわめて低く抑えられるし、苦労少なくいい人材が集まり、ますます、名声（？）がひろまる。
だいたい〔通り名〕を、生誕地の上田城下町から地名をとらないで、唐土から伝わたってきた怪物百鬼の中から、不審火の〔蓑火〕をネーミングしたことからして、センスがいい。
もっとも、〔蓑火〕を選んだのが、喜之助自身でなく、お竜だったとしてのことだが。

（鳥山石燕『百鬼夜行』の〔蓑火〕
キャプション：田舎道などによなよな火のみゆるは多くは狐火なり。この雨にきるたみのの嶋とよみし簑より火の出しは陰中の陽気か。又は耕作に苦しめる百姓の臑（すね）の火なるべし）

甲州の山の中のむすめが、どこで手ほどきをうけたのか---?

お仲が、内ももを押しつけて、催促をはじめた。
「ちょっと、待ちな。いま、考えがまとまりかけているんだ」
甲州---武田信玄流軍学---信長の根だやし指令---家康の隠蔽庇護---それを嫌っての僻地への隠棲---木こり---親から子へのひそかな伝授---

（青〇=甲州-駿河の脇街道・中道往還ぞいの中畑村　明治20年ころの地図）

（ありうる！）

納戸町の於紀乃（きの　明けて６９歳）老叔母が、路銀は１０両（１６０万円）でも２０両でもくれると言っていた。
（中畑村へ行って、お竜の父親に逢ってみるか）

於紀乃叔母の齢をかんがえたら、急がねば---。

【参照】２００８年８月２９日～［〔蓑火（みのひ）〕のお頭］　　（１）　（２）　（３）　（４）　（５）　（６）　（７）