〔蓑火(みのひ)と〔狐火(きつねび)〕(2)
〔蓑火(みのひ)〕の喜之助(きのすけ 47歳)の軍者(ぐんしゃ 軍師)の一人であった〔中畑(なかばたけ)〕のお竜(りょう 30歳)が、盗賊仲間の盟友・〔狐火(きつねび)〕の勇五郎(ゆうごろう 49歳)にゆずりわたされたのは、〔蓑火〕の一味に、剣の腕のたつ〔殿さま〕栄五郎(えいごろう 30歳がらみ)が加わったからと、銕三郎(てつさぶろう 24歳)は承知している。
【参照】2008年10月23日[うさぎ人(にん)・小浪] (1)
2008年11月2日 [『甲陽軍鑑』] (2)
そのお竜と、4日間も旅して、いっしょにいた。
田沼意次の封地である相良の築城を見たあとの焼津港までは、船旅であった。
駿府(静岡市)に近い清水港でなく、焼津をえらんだのは、別れてから掛川城下まで一人で帰るお竜に、東海道の難所の一つである宇津谷(うつのや)峠を越えさせたくなかったからであるが、銕三郎はほかの理由を言った。
「田中城と、長谷川家のご先祖が祀られている小川(こがわ)村の菩提寺にも詣でるために、焼津港がいいのです」
田中城も長谷川家に深い因縁があるが、もう一つ、前藩主であった本多伯耆守正珍(まさよし 60歳)侯への土産話のこともあった。
「ご先祖のお墓参りができるのって、いいですね」
お竜は、故郷を捨てたし、母親ももう中畑村にいないので、10年以上も、生まれた村へは帰っていない。
お竜が、もう一と晩、焼津港か小川村でいっしょにすごしたいと頼むので、銕三郎は、許した。
(もう、これきり、逢うことはあるまい)
そう、こころに決めたからである。
江戸へ帰れば、久栄(ひさえ 17歳)との婚儀が待っている。
翌朝、東海道口・水上(みずかみ)村まで、お竜を見送っていった。
お竜が、重みのある紙包みを銕三郎の手ににぎらせ、
「旅籠代の足しにしてください」
「足りているよ」
「いいえ。掛川からここまでの、わたしの分です」
「そうか。では---」
お竜は、振り返れば、駆け戻ってしまうとでもおもっているのか、そうしないで、島田宿のほうへ去った。
一人になると、大事なものを手放してしまった喪失感に襲われた。
乳首を吸ったり、湿った内股へ入ったことではない。
お竜が洩らした言葉のはしばしが、砂地から水がしみでるように湧いてきたのである。。
つよく印象にのこったのは、お竜が生地の村長(むらおさ)のところでの『甲陽軍鑑(こうようぐんかん)』講で学んだ武田信玄公の言葉の中で、
---弓矢の儀、勝負の事、十分のうち、六分七分の勝ちは、十分の勝ちなり。八分の勝ちはあやうし。九分十分の勝ちは味方の大負けの下づくりなり。
がもっとも気にいっていると言ったことである。
18歳のお竜が、16歳のお勝(かつ)とのおんな同士の色事のうわさに追われるように村を捨て、中山道を放浪していて、熊谷宿で路銀がつきた。
そこの商人旅籠でお勝に枕さがしをやらしたのが発覚(ば)れたとき、安宿の持ち主が〔蓑火〕の喜之助で、配下に加えられた。
【参照】2008年9月13日~[〔中畑(なかばたけ)〕のお竜] (7) (8)
喜之助は、お竜が信玄公の軍法にくわしいこと、軒猿(のきざる 忍者)の末裔であることを知ると、軍者(ぐんしゃ)扱いをしてくれた。
盗賊仲間で名を高めるためには、押し入った先から奪うのは、「六分か七分」にとどめるといい、とお竜が告げると、喜之助はさっそくに採りいれた。
以後、〔蓑火〕に押し入られた大店(おおだな)で、その後、商売が立ち行かなくなったところは一舗(いっぽ)もなかった。
お竜が言ったとおり、〔蓑火〕の喜之助は、盗賊界の名門となり、また、喜之助は盗人の聖人のようにあがめられた。
ある一味の頭など、蓑火稲荷を盗人宿の裏庭に祀って朝晩おがんでいるという噂もでた。
銕三郎は、2年前---明和4年(1767)---六郷で出会った〔蓑火〕の、あと20年もしたら大黒人形そっくりになりそうなほど顎がはった福々しい、温和な風貌をおもいだし、
(さもありなん)
合点した。
【参照】2008年7月25日][明和4年(1767)の銕三郎] (9)
【ちゅうすけ注】もっとも、盗賊の聖人にも泣き所はあった。大おんな好きである。母親がそうであったことによるらしい。
その性癖が遠因となり、『鬼平犯科帳』文庫巻1[老盗の夢]で自滅してしまう。
〔蓑火〕と比べると、狐火(きつねび)の勇五郎(初代)には、もうすこし生臭いところがあった。
考え方として、
一、盗まれて難儀するものへは、手をださぬこと。
一、つとめをするとき、人を殺傷せぬこと。
一、女を手こめにせぬこと。
これはきちんと守っている。
しかし、お竜が、信玄公の「六分七分」説を聞かせたところ、
「だんだんと、仕込みに金がかかるようになってきている。それに、若い者たちがいささかでも分け前の多いほうがよろこぶ時代にも向かっている。格好ばかりつけていてもなあ---」
苦笑したという。
銕三郎は、自分の目で見たことのある〔蓑火〕の喜之助と〔狐火〕の勇五郎(初代)と、お竜がぽろりぽろりと洩らした2人の断片をつなぎあわせて、自分に置きかえて考えた。
やがて勤仕することになる書院番士としては、〔蓑火〕型の、接する者の長所だけをみるようにしながら言動することになろう。
しかし、徒(かち)組の組頭なり、先手の組頭になったら、〔狐火〕方式で、その部署に求められている能力者を見抜いてあてがっていくことになろうか---と。
それにしても、「六分七分の勝ち」を頭にすすめたというのだから、お竜というおんなの才智は、どうなっているのか、もうすこし見極めてみたかったと、未練がのこった。
いや、未練などという軽い言葉ではいいあらわせないほど、その思いでがこころの襞(ひだ)に棲みつくことになるおんなであった。
しかも、そのことは、こんご、誰にも打ちあけることができない。
思いだすことさえ禁じられているともいえる。
(おれが役職に就いたときの軍者として、そばにいてほしいくらいなのだが---)
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