先手・弓の2番手(2)
銕三郎(てつさぶろう 25歳)は、〔佐久屋〕の瀬戸口を裏手に出、隣家とのあいだの猫道から表へまわった。
表通りへのとば口で、見張りの挙動をうかがう。
見張りの賊は、新米らしく、じっとひそむことをしないで、あちこちと歩きまわっている。
その男が猫道の前へくるのを待ち、背骨を太刀の柄頭でつよくつくと、声もたてずに気絶して倒れた。
ついてきていた太作(たさく 63歳)にしばりあげるように言い、〔鳩屋〕の表戸に耳を寄せてみた。
激闘の音がかすかに伝わってくる。
表戸は、内から桟が降りていてあかない。
そこへ、やってきた一隊が、銕三郎を見とがめて取り囲み、提灯をつきつけた。
「怪しいやつ。なにをしておる?」
「あなた方は、何組ですか?」
「先に名乗れ」
「先手・弓の8番手組頭・長谷川平蔵宣雄の嫡子・銕三郎です」
一隊の中から、指揮者らしい年配のが、
「長谷川どのでござったか---」
「おお、筆頭与力さま」
先手・弓の2番手の筆頭与力・館(たち)伊蔵(いぞう 53歳)の顔が、新月の星明りでみとめられた。
2番手組の組頭は、奥田山城守忠祇(ただまさ 67歳 300俵)である。
館筆頭とは、去年の晩春、盗賊・〔傘山(かさやま)〕の弥兵衛(やへえ 40がらみ)の記録のことで、目白台の組屋敷で会っている。
「わざわざのお見廻り、ご苦労さまでございます。それにして、奥田山城さまのお組がこのあたりをご担当とは---」
「目白台の組屋敷からは方角ちがいだが、お頭の屋敷は神田の元誓願寺なので、下谷(したや)あたりの見廻りを割りあてられたのでござる。ところで、ここで、なにを---?」
銕三郎は太作がしばりあげた見張りの賊をしめし、
「〔鳩屋〕へ押しいった賊たちの、見張り役を捉えました」
筆頭与力は、賊が身動きしないので、
「斬り殺された---?」
「いえ。気をうしなっているだけです。切り傷はつけてはおりませぬ」
館与力は、捕り方の同心に目で、賊を改めるように命じ、
「で、盗賊たちは?」
「いまごろは、この家の中で、みんな、気をうしなっておりましょう」
銕三郎が塀ごしに呼びかけた。
「録さん。表の大戸を開けてくれないか」
館筆頭ほか組下一同が、奥へ行ってみると、廊下や庭に、8人もの賊が倒れてうめいていた。
「浅田うじ。先手・2番手の筆頭与力どのです」
「館でござる」
「この家の用心棒・浅田剛二郎(ごうじろう 32歳)であります」
「銕(てつ)さんの剣友で、佐倉の郷士・岸井左馬之助(さまのすけ 25歳)と申します」
「おなじく弟弟子の井関録之助(ろくのすけ 21歳)であります」
それぞれが、館筆頭に名乗った。
館筆頭は、ひとりひとりに大きくうなずきながら、
「お手前方のあっぱれな働きは、組頭の奥田山城守さまが、上っ方へご報告になるはず。組頭さまは、今夜は、お風邪ぎみでご静養なので、小職から仔細に話しておきます」
(奥田山城守忠祇の[個人譜)
【ちゅうすけ補】奥田山城守の嫡養子・吉五郎直道(なおみち)とは、銕三郎は2年前の明和5年(1768)12月5日、いっしょなに将軍(家冶)の初見をうけている。
館筆頭は、銕三郎を廊下の隅へいざない、
「お頭はお齢をめしておられるので、小職に代役をお命じになりましたが、今宵のような手柄は、ご自分のものになさりたいはず。どうであろう、賊の逮捕は、明日、お頭のお馬先召し捕り---ということにしていただきたいのじゃが---?」
「承知しました。そういたしましょう」
【参照】お馬先召し取りについては、2006年6月12日[現代語訳『徳川時代制度の研究」] (1) 【ちゅうすけ注】火盗改メの長官(かしら)のお馬先召し捕りというのは、じっさいにあったことらしい。が、先手の臨時見廻りであったかどうかはしらない。
銕三郎が訊く。
ところで、御蔵前片町あたりのようであった火事はどうなりました?」
「ぼやでの。大火にならないでよかった。そちらは、鉄砲の5番手の永井内膳(直尹 なおただ 500俵)さまの組があたっておるが、組頭どのはやはり73歳とお齢での、次席与力どのが采配をとってござる」
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コメント
久栄さん、そろそろ出産ですね。
辰蔵ちゃんが誕生するのかしら。
それとも、長女の初ちゃん?
楽しみにしています。
投稿: tomo | 2009.04.08 09:16
先生には元気で、研究を続けておられると推察いたします。
何が本当で、そうでないのか小説の世界は判りませんが、面白くて読ませていただきます。
投稿: 長屋の隠居 | 2009.04.08 10:44
>tomo さん
史実では、辰蔵が誕生です。
小説では、初だつたり、辰三だったり。
史実をとります。
投稿: ちゅうすけ | 2009.04.08 16:36
>長屋のご隠居 さん
お久しぶりです。
お元気ですか?
あいかわらず、鬼平にこだやわっています。
いまの日本人の心情の半分近くは、鬼平のころ---徳川時代に作られたものとおもっていますので。
宮城谷さん『風は山河より』を読むと、忠というコンセプトも、儒学ではなく、徳川家康の執念みたいなものだったようですね。
もっと、勉強してみます。
投稿: ちゅうすけ | 2009.04.08 18:44