姫始め(3)
「板元(はんもと)の名代(みょうだい)---」
銕三郎(てつさぶろう 明けて28歳)がぜんぶ言い終わらないうちに、〔左阿弥(さあみ)〕の2代目・角兵衛(かくべえ 明けて42歳)が、
「それでしたら、先日おすすめした祇園社の---」
「角。長谷川さまのお話をぜえんぶお聞きしたあとで、おまはんの案をいうたらええ」
円造(えんぞう 60がらみ)が゜、ぴしゃりと釘をさした。
「2代目さんが申された、祇園社の鳥居内の〔藤屋〕さんも悪くはないのですが、この際、商い人(あきないびと)は避けたほうがよろしいとおもいまして---」
「なんぞ、不都合でも?」
角兵衛が訊いた。
銕三郎の説明は、理にかなっていた。
〔化粧(けわい)読みうり〕は、煎じつめれば、お披露目引き札(広告チラシ)である。
お披露目は、ちょっとのものを大げさにふくらませていうことがないではない。
そこのところを世間には、〔千三ッ屋〕と極論する者もいる。
千に三ッしか真がない---ということらしい、
しかし、泰平がつづいている当今、物の売り買いがさかんになり、商いが繁盛している。
物には、質がピンからキリまであるが、ピンの物がかならずしも評判をとるとはかぎらない。
評判は、風評で上下する。
大切なのは風評である。
風評をきめるのは、人の口端(くちは)によることも大きいが、お披露目だって隅におけない。
「全部がそうだというのではないが、商人は、利にさとい。いえ、そのことをとやかくいうのではありませぬ。しかし、ことの実を伝えるはずの読み売りの板元が、商人とわかると、信が薄れましょう」
「なるほど、もっともや」
円造が賛意を示した。
2代目・角兵衛もうなずく。
「板元には、人びとが信を置く人がよろしいとおもうのです」
「たとえば?」
「手習い所---上方では、寺子屋と申しましたな、そこのお師匠とか、寺のご住職とか---」
「奉行所のお奉行はんとか?」
「いえ。幕臣は脇職を禁じられております」
「祇園社の執行(しぎょう)はんとか?」
「お引きうけくださいますか?」
「むずかしおすな」
「そうや、誠心院(じょうしんいん)の貞妙尼(じょみょうに)はんはどないやろ?」
「さすがは元締、ええとこに気ィがつきはらはった。名案どす」
(赤○=誠心院 右から2堂目:蛸薬師 『都名所図会』)
角兵衛が銕三郎に解説した。
誠心院(中京区京極六角下ル東側)は、蛸薬師(現・中京区蛸薬師上ル)の北にあり、和泉式部が剃髪して住んだといわれている寺で、貞妙尼は2年ほど前に武家の夫を亡くし、まだ23歳やいうのに仏道にはいってしまったのだと。
浪人だった夫は、祇園社の境内で蝦蟇(がま)の油を売っており、〔左阿弥〕一家と顔見知りであった。
「〔化粧(けわい)読みうり〕の板元代人料のいくばくかでも入れば、お布施のたしになりまひょ」
話は、円造自らがつけに行くという力の入れようであった。
「誠心院はんへお布施がいくんなら、月に4度の板行にしたかて、かめしまへん」
2代目も張り切った。
「ということは、貞妙尼さん、よほどの美人のようですな」
銕三郎は、図星をいいあてたようであった。
蛸薬師通りには、盗賊・〔狐火(きつねび)〕の勇五郎(ゆうごろう 明けて53歳)の妾・お吉(きち 明けて37歳)と息・又太郎(またたろう 明けて15歳)などか住んでいる家があることは、いう必要もないので、黙っていた。
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