遥かなり、貴志の村(6)
「さいでやすか。では、仰せのとおり、2人を引きあげさせやすが、ほんとうによろしいので---?」
深川の駕篭屋〔箱根屋〕の主(あるじ)・権七(ごんしち 44歳)が念をおした。
権七の店の舁き手の加平(かへい 26歳)と時次(ときじ 24歳)が、あしかけ3年ごし、茶寮〔貴志〕のかかりつけの三河町の〔駕篭徳〕に出張り、〔貴志〕から乗る客の名前と住まいを手控えてくれていた。
平蔵(へいぞう 31歳)が、その役目は終わったから、引きあげさせるように告げたのであった。
「長谷川さま。〔貴志〕の南のお屋敷のことは、ほんとうに、すみましたのでやすか?」
いたわるような眼(まな)ざしであった。
南の屋敷とは、一橋家を指している。
(あっ。里貴(りき 32歳)のことをしっておったな)
権七に父のようなおもいやりの深さに、平蔵の目頭が熱くなった。
「終わった。あとはなりゆきまかせになる」
(いまは無役になっておられる本多采女紀品(のりただ 63歳 2000石)どのをけしかけて、田沼(主殿頭意次 おきつぐ 58歳 相良藩主)侯のご機嫌うかがいに参じねば---)
ところが、意あればおのずから通ず---とは、まさにこのこと。
田沼老中のほうから、招きがあった。
すぐに、田沼家の築地・中屋敷伺候の顔ぶれの一人---同じ西丸で目付として詰めている、<佐野与八郎政親(まさちか 45歳 1,100石)に、それとなくあたってみた。
佐野政親には声がかっていないとわかった。
(おれ独りということは、里貴からみのお詫びだな)
平蔵の読みはみごとにすばれた。
田沼老中の最初の言葉は、
「長谷川うじ、助かったよ」
平蔵が受けかねていると、
「麦畑の畝(うね)じゃ」
「あれは、先手・弓の頭の大伯父・太郎兵衛正直(まさなお 68歳 1450石)の発議でござりますが---」
掌をふって笑いながら、、
「隠すには及ばぬ。その大伯父どのが白状しておるのじゃ」
助かったというのは、この4月に執り行なわれる将軍・家治(いえはる)の日光参詣の沿道警備の費(つい)えが、麦畑が縦畝となったことでに1000両近く節約できたということであった。
「いや、金銭に代えがたいのは、道沿いの在方の者たちが、お上のお成りをこころからお迎えしておる姿があの縦畝と、奏上できることじゃ。お上も、ひと目でご納得なされよう」
(なるほど、上に立つ者は、自分が崇拝されていることを目(ま)のあたりに確めたいのだ)
「ついては、ほんの些少だが、われからの志をうけてほしい。これは、意次ひとりの寸志である」
意次が自ら酌をしてくれた。
平蔵は、脇の下を汗ばませながら受けた。
つぎからは、25,6歳とおもわれる美しい召し使いが酒をすすめた。
「引きあわせておこう。お佳慈(かじ)じゃ。〔貴志〕の女将をすすめたのじゃが、諾といいおらぬ。じゃによって、あの店は閉めることにした」
佳慈は、笑いながら、
「わたくしには、お里貴さまの代役はつとまりませぬ」
「目の前にいるようないい男が、情人なってくれるやもしれぬ好機をのがしたのじゃぞ」
「ほんに---」
流し目をくれた。
(里貴の代役は、媚態だけではつとまらぬのだ)
平蔵が、胸のうちでつぶやいた。、
その夕べ、意次は一度も里貴の名を口にしなかった。
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コメント
麦畑の発案には、ほとほと感心していましたが、田沼意次侯からも褒章がでましたか。
田沼侯は心得ていますね。
上に立つ者は、すべからく信賞必罰を心しておこなうべきです。
投稿: 左衛門佐 | 2010.06.24 06:06