〔(世古(せこ)本陣)〕のお賀茂 (5)
「明日、もう一度、さぐってみやしょうか?」
〔耳より〕の紋次(もんじ 33歳)の興味津々の問いかけに、
「それは、やめておいてくれ。隣りのたばこ屋の婆あさんにも近づかないほうがいい」
平蔵(へいぞう 31歳)は、水茶屋の美人の女将に茶代をわたし、深川・黒船橋北詰の駕篭屋〔箱根屋〕の権七(ごんしち 44歳)を訪ねた。
「ご新造は---?」
すぐに事情を察した権七は、店の者を、畳横丁の住いへ走らせた。
以前の住いは、同じ深川でももうすこし西寄り---諸(もろ)町に接した熊井町内の正源寺(浄土宗 現・江東区永代1丁目)の横手にあったが、駕篭屋業にはずみがついたころ、店に近いいまの2階家へ越していたのである。
弥生(旧の3月)も月末近くになると、日の暮れもぐんと延びてきていた。
折れて西向きに大川へ注いでいる横川の河口の空が、深紅の夕焼けになっていた。
その夕焼け空を背負うようにしてやってきたお須賀に、
「夕餉(ゆうげ)の支度の最中(さなか)のご足労、申しわけない」
「とんでもございません」
「ご新造の目には、〔衣棚(ころものたな)屋〕のおんな主(あるじ)は、お賀茂(かも 40歳前)ではないと、はっきり、見えましたか?」
「お賀茂さんを最後に見かけたのは、いつかもお話としましたように10年も前ですが、どんなに面(おも)変わりしておりましても、寸時たてば、むかしの面影があらわれるものでございます。ましてわたしは、本陣の女中、呑み屋の女将と、客商売が長ごうございましたから、人さまのお顔を覚えるのには長(た)けております。見まちがえるようなことは、まず、ございませんです」
【参照】2008年3月27日[〔荒神(こうじん)の助太郎] (10)
2009年1月10日[銕三郎、三たびの駿府] (3)
(おんながおんなの顔を見るときは、どれほど化粧をほどこしていようと、その仮面をはぎとって素の顔を見てしまうほど残忍なものだと、いつか、お勝(かつ 35歳))が打ちあけてくれたことがあった)
「いや。ご内儀どのの申し分、重々にごもっとも。まさに、他人のそら似であったろうう」
平蔵は、お須賀たちが〔ころものたな〕屋をでて間もなく、おんな主が表戸を閉めてどこかへ出ていったことは、お須賀にはかかわりのないことであったから、告げなかった。
(ここから先は、おれの思案どころだ)
権七が、駕篭を用意してくれた。
「あちこちお歩きになって、おくたびれでございやしょう。使ってやっていくだせえ」
駕篭に揺られて思案を凝らしていたとき、お竜(りょう 享年33歳)の声が聞こえて、おもわず膝を打った。
「そうであったのか!」
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コメント
「おんながおんなの顔を見るときは、どれほど化粧をほどこしていようと、その仮面をはぎとって素の顔を見てしまうほど残忍」
すごい独白ですね。
化粧品会社がおったまげそう。
しかし、真実かもしれないと、われわれ男性は教えられました。
投稿: 文くばり丈太 | 2010.07.16 04:34
ちょっと美しく見える人に対して女性が投げかける言葉は「整形しいる」、「化粧上手」、「厚化粧」と、残酷です。
それで、お引きになった表現をおもいつきましたが、やはり、手きびしかったと反省しております。
投稿: ちゅうすけ | 2010.07.16 10:54