〔(世古(せこ)本陣)〕のお賀茂 (7)
「いいか。元締か小頭、若い者頭へじかに渡すんだぞ。長谷川さまのお顔をつぶすようなことになっては、これからのおれたちの生業(なりわい)にもさしつかねえ---と、わしがいっておったと、念をおせ」
〔音羽(おとわ)〕の重右衛門(じゅうえもん 50歳)は、平蔵(へいぞう 31歳)からの書状を筆写し、小頭の〔大洗(おおあらい)〕の専二(せんじ 38歳)ほかの主だった手下(てか)にもたせて盛り場の元締衆のところへ走らせた。
依頼状は、平蔵が〔(世古(せこ)本陣)〕と仮りの呼び名をつけたお賀茂(かも 40歳前)を、似顔絵と照らしあわせた店を調べてほしいというものであった。
それがわかれば、お賀茂とそのむすめが出歩く先ざきの推測が、ある程度はつくかもしれないとおもったのである。
もちろん、引っ越したであろうが、たぶん、あわてての引越しだから、〔荒神(こうじん)〕の助太郎(すけたろう 58歳)とすれば、そう遠くへは動いてはいまい。
〔音羽〕の重右衛門の手くばりは、さすがであった。
おもいのほか、早くにその店が知れた。
なんと、浅草寺の仲見世の一軒、人形屋〔助十〕とわれた。
浅草、今戸、橋場をシマにしている〔木賊(とくさ)〕の今助(いますけ 29歳)が、〔助十〕のおんな主(あるじ)を伴い、菊川橋西詰の酒亭〔ひさご〕でお待ちしていると、権七(ごんしち 44歳)のところの若い者(の)が、下城したばかりの平蔵に伝えにきた。
菊川橋ぎわの酒亭〔ひさご〕といえば、去年だったか、白粉問屋〔福田屋〕の番頭や権七などと使ったことがあった。
【参照】2010年4月14日[お勝からの手紙] (3) (4)
権七がなじみというので、今助がしたがったのであろう。
小座敷が借りられていた。
今助も、元締の座に坐って5年近くになり、貫禄もそれなりについてきた。
「お内儀は達者かな?」
それでも、小浪(こなみ 37歳)のことを平蔵から訊かれた今助は、小鬢をかきかき、
「婆ぁになってるのに、達者なもんで---」
「それは、けっこう。おんなは灰になるまであきらめないというぞ。子でも授けてやるんだな」
「そっちは、見込みがありやせん」
「はげめ、はげめ」
平蔵は、真面目な顔ですすめた。
〔音羽〕の重右衛門と権七が笑いをこらえていた。
ひとわたり酒が入ったころを見はからい、今助が〔助十〕のおんな主をうながすと、ひと通りのことを話してから、
「妙だなと感じたのでございますが、京人形を買ってもらった子と、似顔絵のおんなは、どうも、いっしょには住んでいないみたいでした」
「なに?」
平蔵があらたまると、人形屋は口ごもってしまった。
「女将どの。おもったままでいい。なぜ、そう感じたな?」
うながされ、
「おんなの子が、おたあん家(ち)に、預かっといてんか、といったんです」
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