〔(世古(せこ)本陣)〕のお賀茂 (6)
「目くらましの、仕かけにお気をおつけなさいませ」
〔中畑(なかばたけ)〕のお竜(りょう 享年33歳)の声であった。
いや、このとおりに言ったのではなかった。
ささやくように読みあげたのは、『孫子』行軍篇の中の一節---、
「衆草(しゅうそう)の障(おおい)多き者は、疑(ぎ)なり」
『孫子』は、草を結んだ上をなにかで覆っているのは、行軍を遅らせるためだと警告しいたのだが、平蔵(へいぞう 31歳)の耳元で、お竜はこう、ささやいてくれたと、受けとめた。
「目くらましの、仕かけにお気をおつけなさいませ」(歌麿 お竜のイメージ)
【参照】2008年9月13日~[中畑(なかばたけ)〕のお竜(りょう)] (7) (8)
2009年8月4日[お勝、潜入] (1)
目くらまし---とは?
{荒神(こうじん)〕の助太郎(すけたろう 58歳)が、どうかして、似顔絵が配られていることを知ったとしよう。
いずれかの元締のシマの床店へ、お賀茂(かも 39歳)とむすめ(6歳)が買いものにあらわれたとき、手くばりされていたお賀茂の似顔絵をわざわざとりだして照合でもするへまをしでかしたものがいたかもしれない。
気づいたお賀茂が訊いたであろう。
「なんのためなの?」
あわてた床店の女あるじが、
「元締さんから言いつけられただけでして---」
その経緯(いきさつ)を、お賀茂が、〔荒神〕の助太郎に告げたとする。
助太郎は、かねてから目をつけていたお賀茂にそこそこ似たおんなに、相応の金をわたし、すぐさま、横山町横町の古手屋〔衣棚(ころものたな)屋〕のおんな主(あるじ)をすりかえる。
横山町の近くに住んでいたお須賀たちを引っ越させ、そのあとには代人を入れたろう。
小頭・〔於玉Tヶ池(おたまがいけ)〕の伝六(でんろく 35歳)の耳に、見まちがえた〔ころものたな屋〕の代人のことを告げたのは、両国広小路のどの店かの者であったろう。
(これは、伝六にたしかめてもいいが、どうというほどのことではない。肝心なのは、〔荒神〕の助太郎が、なぜ、お須賀を隠したかだ)
(いや、お賀茂を隠すためでなく、ほかのこと---たとえば、6歳にまで育ったむすめを隠すためだとしたら?)
【ちゅうすけ注】6歳にまで育ったむすめは、その後25歳となり、文庫巻22[炎の色]でお夏(なつ)と名のってあらわれた。
(そうでは、あるまい。〔ころものたな屋〕からお須賀へたどりつく線は、引越しによってきれいに消された)
となると、助太郎の狙いは、こちら側を混乱させるところにあったのかもしれない。
とつおいつ考えているうちに、屋敷へ着いた。
舁き賃をわたそうとしたが、つよく拒まれた。
無理に押しつけて、舁き手たちがあとで権七(ごんしち 44歳)から雷を落とされても気の毒と、あっさり引っこめた。
部屋へ座り、〔音羽(おとわ)〕の重右衛門(じゅうえもん 50歳)へとどけ文を認(したた)めた。
明日、登城したあと、松造(まつぞう 25歳)にとどけさせるつもりであった。
【参照】2010年7月12日~[〔世古(せこ)〕本陣〕のお賀茂] (1) (2) (3) (4) (5) (7)
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