鳥居丹波守忠意(ただおき)
「侯のお達しは、大師堂の本尊の身代り地蔵像を取り戻せ---、盗人を召し捕れとはお命じになりませぬでした」
平蔵(へいぞう 32歳)の答申に、西丸若年寄・鳥居丹波守忠意(ただおき 61歳 下野国壬生藩主 3万石)は大らかに笑い、そのあと、ちょっと眉を寄せた。
ところは、西丸下の西城・若年寄の役宅であった。
侯の八ッ(午後2時)すぎの下城後、在勤していた平蔵に声がかかった。
伺候すると、部屋にはすでに、上司の番頭・水谷(みずのや)出羽守勝久(かつひさ 55歳 3500石)と与(くみ 組)頭・牟礼(むれい)郷右衛門勝孟(かつたけ 57歳 800俵)が、裃と袴を脱いだ丹波侯の右斜め横にそろっていた。
平蔵は、その末座から言上したのである。
「そうではあったが、お上の臣であるおことに、予が命を下すことはできぬ」
若いころは秀麗な細面の殿さまであったろう、実母の美貌がしのばれた。
しかも、教養が加わっていた。
「しかしな、長谷川。丹波侯のおこころづかいの、その先を忖度、推察するのが循吏(じゅんり)を志す者の作法であろう」
水谷出羽守が補足し、平蔵が形だけ頭を下げ、かしこまった風をよそおう。
「これ。かまわぬ、かまうでない」
手で制した壬生侯は、すこし間をおいたあと、つづけた。
「因幡侯(戸田忠寛 ただひろ 40歳 宇都宮藩主 7万7800石)の城下の古物商いのところへ持ちこまれたと、よくぞ、しれたもの」
「(火盗改メ)本役をお勤めの土屋(帯刀守直 もりなお 44歳 1000石)さまのご仁徳のお蔭であります」
「火盗の土屋---? 土屋うじがなにかしてくれたとな?」
【参照】201年8月6日[安永6年(1777)の平蔵宣以] (1) (2) (3) (4) (5) (6)
「香具師(やし)の元締衆に夜廻りの手札をおさげわたしになりました」
その中の一人である〔音羽(おとわ)〕の重右衛門(じゅうえもん 50歳)が、宇都宮城下・曲師(まげし)町の〔釜川(かまがわ)〕の藤兵衛(とうぺえ 40歳)に引きあわせてくれ、その元締が北関東一帯の元締衆に触れをまわすとともに、シマの中にも手をうってくれていたために発見できたという経緯(ゆくたて)を、大真面目な顔で打ちあけた。
「予は参政(若年寄)の席に就いてより、日光山ご参詣のときのほかは帰国しておらぬ。香具師の元締などという者を見たこともない。いつか、召し連れて話しにきてくれないか?」
平蔵は、形だけ、水谷番頭をうかがうと、うなずきが返された。
「御意、承りました。そのときには、土屋さまもごいっしょに---」
「きっと、であるぞ」
お茶も出ない面接であった。
(これなら、お城のご用部屋のほうが、同朋(どうぼう)がお茶を奉仕してくれる)
思いながら立つと、
「長谷川うじ、寸時、残られい」
丹波守が呼びとめた。
小姓の案内で、水谷番頭と牟礼与頭が玄関ほうへ消えたのを見すまし、かたわらの用人に目くばせし、
「小山(おやま)では無駄骨を折らせたようじゃな。旅籠代の足しにでもしてくれ」
「殿!」
平蔵の顔に赤みがさした。
「誰にでも秘密はある。はっ、ははは」
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