寺社奉行・戸田因幡守忠寛(ただとを)
「戸田因幡どのの、たってのお言葉での」
西丸・御用部屋の控えの間であった。
口をきいたのは、少老(しょうろう 若年寄)の鳥居伊賀守忠意(ただおき 62歳 壬生藩主 3万石)。
昨秋、伊賀侯の城下の事件の解決に平蔵(へいぞう 32歳=当時)がひと役かってからというもの、後ろ楯になったつもりでいる。
戸田因幡(守 忠寛 ただとを 41歳 宇都宮藩主 7万7000石余)は、奏者番(そうじゃばん)をあしかけ8年勤めてい、2年前に寺社奉行を兼ね、譜代大名としての出世街道を走っていた。
部屋には例により、平蔵が所属している書院番4の組の組頭・水谷(みずのや)出羽守勝久(かつひさ 56歳 3500石)と与(くみ 組)頭・牟礼(むれい)郷右衛門勝孟(かつたけ 800俵)も随伴していた。
「戸田侯のご城下・宇都宮の虚無僧寺(こむそうでら)の松岩寺(しょうがんじ)に押しいった盗賊について、なにほどかのこころあたりがありそうゆえ、町奉行所へ力をかしてほしいとのことである」
伊賀侯の吹聴に、戸田侯が寺社奉行の面子(めんつ)もあり、つい、口をすべらしたのであろう。
本気で逮捕をこころがげているのであれば、まず、火盗改メに要請するはずである。
水谷番頭をうかがうと、大きくうなずいた。
「こころあたりがあるわけではありませぬが、たって---ということであれば、藩邸のご用人などに、火盗改メへおとどけになり、火盗の土屋(帯刀守直 もりなお 45歳 1000石)さまからお申しつけいただきとうございます」
平蔵としては、諸侯の封地には、なるべくかかわりたくなかった。
幕府の直臣と諸侯の家臣という、いうにいわれぬ微妙なあいだがらのこともあった。
(事件が紀州なら、ついでに里貴(りき 34歳)の按配をたしかめるという役得(?)もあるのだが---)
【参照】2010年6月19日~[遥かなり、貴志の村] (1) (2) (3) (4) (5) (6) (7)
火盗改メ・土屋帯刀(守直の名をだしておいたのは、こんごもそこからの依頼を期待していたので、筋をとおしたのである。
役人の世界は筋が肝要で、管轄を冒(おか)しては、なにごとも進まなくなることは、5年前に逝った亡父・宣雄(のぶお 享年55歳)から、しっかりとたたきこまれてもいた。
「そうであった。因幡侯へそのように伝えておくから、こころしておくように---」
水谷番頭、牟礼与頭もともにかしこまり、頭をさげた。
平蔵の思惑は、こうして若年寄のご用部屋へ呼ばれていることが、書院番の同僚たちにどう見られ、嫉妬めいた眼差(まなざ)しの矢をいかにして防ぐかという、城内のつまらない風潮にあった。
なにしろ、幕府の財政は赤字つづきであった。
功のあったものへの報償も、下賜できる知行地の余裕がなくなっている。
それだけに、同輩のわずかな報償にも敏感に反応をしてしまう。
(貧すりゃ、鈍すとは、よくいったものだ)
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コメント
平蔵さん、幕閣の口から口へと伝えられ、まだ、西の丸の平らの書番士なのに、つぎからつぎと本業ではない探索仕事が舞い込むようになっています。
こうして、江戸期一番の火盗改めがつくられていくのですね。ほんと、成長小説。
投稿: tomo | 2010.10.16 05:16
>tomo さん
うーん、成長小説ねえ。たしかに、初体験を14歳ですませ、それからのイタ・セクスアリスですが、いまは、33歳ですから、成長というより、出世街道を歩んでいる感じではないでしょうか。
もちろん、これからも女性から誘われると、つい、ふらふらとなるかもしれません。
もっとも、池波さんは鬼平をシムノンのメグレ警視にかぶせています。メグレはふらふら、としないから、火盗改メ時代の鬼平もふらふら、とはしませんが。
投稿: ちゅうすけ | 2010.10.16 15:53