〔三ッ目屋〕甚兵衛(3)
「ところで、お貞(てい 40がらみ)の隠れ家を聞いても、いうまいな?」
〔三ッ目屋〕甚兵衛(じんべえ 39歳)は、もう、平蔵(へいぞう 35歳)の目をみることができず、うなだれていた。
「お貞を、最後に抱いたのは、いつだ? 〔初鹿野(はじかの)〕一味の押し込みの前かい?」
目を伏せたまま、うなずいた。
「朝鮮人参のことをそそのかしたのは---?」
「知りあって、すぐでした」
「どこで知りあった?」
お貞を、婀娜(あだ)な奥女中だとは、『房内篇』の写本を売りにくる躋寿館(せいじゅかん のちに医学館)の塾生たちからの噂で耳にしていていた。
塾生のひとりにわたりをつけ、半年前に上野・池の端の茶店で待ち合わせた。
誘うと、簡単に出会茶屋へあがりこんだ。
その後すぐに、〔舟形(ふながた)〕の宗平(そうへい 60すぎ)が店へやってき、お貞は〔初鹿野のお頭(かしら)のおんなだ、知れると命がなくなる。
生きていたかったらと、朝鮮人参を高値で引き取ることを約束させられた。
「いくらで故買した?」
「30両(380万円)で---といわれました」
「で、甚兵衛どんは、いくら転売するつもりだった?」
「〆て40両なら、本町あたりの薬種(くすりだね)問屋は、どこだって買ってくれます」
「買った問屋は、盗品ということで火盗改メに取りあげられている、甚兵衛どんの信用は霧消した」
「へえ---」
「甚兵衛どんの刑罰(おつとめ)だが、お町(奉行所)は、偽の人参を高麗ものと偽った罪で所払いと決めた」
「-------」
「火盗改メのここは、盗品を売買したということで島送りとのこと---」
「お武家さまは、火盗改メの与力のお方ではございませんので?」
「おれは、長谷川平蔵というものだ。親父の名前なら、甚兵衛どんもこころえていよう。備中守宣雄(のぶお)というんだが---」
「明和9(めいわく)年に放火犯をお挙げになりました---、あの、長谷川さま---」
「覚えていてくれたかい」
「もちろんでございます」
平蔵は、あと半月で、島送りの舟が出る。そのあとで手くばりするから、お前さんが差したとは〔初鹿野〕一味も気づかないとおもうから、お貞の隠れ家を告げないか。
「お礼は、甚兵衛どんの恩赦を、ここの組頭・贄(にえ) 越前守正寿(まさとし 40歳)さまへ頼んでやる。さらに、島での生きがいに、竹節(ちくせつ)人参が育てられるように、平賀源内(げんない)先生から種をわけてもらってやる」
お貞は目黒村の盗人宿に隠れていたが、火盗改メが踏みこんだときには、もぬけの空で、脇屋清吉(きよよし 52歳)は大いにくやしがった。
もっとも、贅 越前守正寿(まさとし 40歳)は平然と、
「相手が一枚上手(うわて)だったってことさ。次はこっちが上手をとりにいけばいい」
【ちゅうすけ注】平賀源内は、この前年---安永8年(1779)12月18日に牢死したが定説であるが、相良で源内の墓をみたちゅうすけは、田沼意次がひそかに手をまわし、その藩内に隠棲させたという異説にくみする。
【参照】2007年3月12日[相良の平賀源内墓碑]
2007年3月12日[源内焼]
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コメント
いつだったかの『よしの冊子』に、平蔵が「おれは拷問なんかしない。拷問をしなくても、すらすらと答えてくれる」という史実が書かれていました。
きのう、きょうの甚兵衛への尋問ぶりから、それを想像しました。たしかに、相手の弱みをにぎり、しかもおだてるように訊いていくのですね。
あ、年詞が後先になってしまいました。
あけましておめでとうございます。
ことしも、平蔵さんの活躍を期待しています。
お風邪などお引きになりませんように、お気をおつけください。
投稿: 文くばりの丈太 | 2011.01.02 05:01