本陣・〔中尾〕の若お女将・お三津(2)
お三津(みつ 22歳)が膳を下げ、うれしげに腰を微妙にゆすっているうしろ姿を見おくった平蔵(へいぞう 37歳)は、昨夜の書簡に追伸を入れるをことをおもいついた。
話を聞いたのが14年も前のことなのでしかとは覚えていないのだが、〔狐火(きつねび)〕のお頭が、小浪どのと知りあった、浜松の銘酒〔天女の松〕の蔵元へ押し入ったときの配下の衆で、その後に一味をぬけ、いまは首領になっている尾張生まれの者がいたら、その名をお洩らしくださるわけにはいくまいか。
決して、悪いようにはしないつもりである。
【参照】2008年10月29日[〔うさぎ人(にん)〕・小浪] (7)
元の封書を、もう一枚の奉書紙で包み、その中に追伸をいれたところで、お三津が、湯がころあいになったと迎えにきた。
浴衣に着替えていた。
(いっしょに浴びるつもりか?)
思ったが、うっかり訊き、「そうだ」と応えられてひっこみがつかなくなるので、
「あとで、この手紙を飛脚屋へ頼んでくれまいか。私信ゆえ、お上の定飛脚はつかえない」
「京のいいお人へですか?」
「そうではない」
わざと、素っ気なく言った。
脱ぎ場で帯をといている平蔵の横をぬけ、湯の加減をたしかめ、ふりむき、笑顔でうながした。
平蔵が躰を沈めると、浴衣の裾を帯にはさんで白い足をさらし、
「元結(もとい)を切りましょう」
脊を向かせ、鋏(はさみ)を使い、髷先(まげさき)を束ねていたものを切り、取り去った。
「お洗いします」
湯桶をでた平蔵を腰置きに向うむきに坐らせ、肩までとどく台に小ぶりな盥を乗せ、薬缶(やかん)からあたためた洗い湯を注いだ。゜
洗い湯は、溶かした布苔(ふのり)にうどん粉をまぜ、脂(あか)ねばりおとしによく効くといわれているものであった。
平蔵の髪を洗い湯に漬けては、両掌でもむようにして洗っていった。
(おしゃまで世話焼きなところも、おまさによく似ている)
「大名方のおいいつけで、用具をそろえているのです」
「大名たちのも、お三津どのが洗ってさしあげるのかな?」
ぴしゃと肩が叩かれた。
「冗談ではありません。長谷川さまだから洗ってさしあげているのよ」
平蔵が振りむこうと動いたら、また叩かれ、
「真湯でゆすぐまで、動かないで---」
「失礼した」
乾いた手拭で丁寧に水気がきられ、くるくるとまかれ髪は新しい手拭につつまれ、額の前でむすばれた。
「お疲れさまでした。こちらをお向きになって---」
高台と盥は片されてい、目の前にいたのは、低い腰置きに腰かけた膝がひらき、衿がはだけて乳房をこぼしているお三津であった。
指でつまんだものを平蔵に示し、
「お髪(ぐし)の中からでてきました」
ちぢれた短い毛であった。
「そんなはずはない---」
「ほら、赤くなった---」
「濡れ衣(ぎぬ)だ」
「はい。私のです」
「こいつ」
露出していた乳頭を押した指がつかまれ、口にいれら、舌がからんできた。
膨張したものはにぎらせておき、
「酒は六ッ(午後6時)まで口にしない。、おなごは六ッ半(午後7時)をすぎるまで抱かないことにしておる」
力がこもり、
「五ッ(午後8時)ならよろしいのですね?」
(生活(たつき)に憂(うれ)いの少ないおんなの心がむくところが「性」とは、よくしたものだ)
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コメント
江戸の男の人って、洗髪をどうしていたのかなとおもっていましたが、ふのりとうどん粉で脂よごれを落としていたのですか。『犯科帳』では廻り髪結いは登場しますが、洗髪の場面がなかったので、相当に匂うだろうなと心配していました。
このプログは、そういう細かい所作まできちんと書かれているので納得がいきます。
お調べになるの、たいへんでしょうけど。
投稿: mine | 2011.05.05 05:36
>mine さん
江戸時代のもの本に、そのように書かれておりました。
むくの木の皮を煎じた液で洗うともありましたが、有毒成分を含んでいるので要注意、髪を黒くしたいときに使ったらしいので、お三津は採用しなかったと思います。
投稿: ちゅうすけ | 2011.05.05 09:15