〔神座(かんざ)屋〕の伊兵衛
「ここから押しいったようです」
〔神座(かんざ)屋〕酒造の主人・伊兵衛(いへえ 54歳)が台所口の板戸を示した。
どう見ても板戸には、傷がなかった。
平蔵(へいぞう 37歳)は、板戸の点検は三宅重兵衛(じゅうべえ 42歳)と古室(こむろ)忠右衛門(ちゅうえもん 30歳)の2人の同心にまかせ、土地(ところ)の岡っ引き・宇三(うぞう 38歳)や伊兵衛の表情をさりげなく観ていた。
2人の同心が了解したところで、
「酌とりのおてつ(25歳)が寝起きしていた部屋は?」
奉公人が食事をする板の間つづきの3畳の小部屋がそうであった。
お鉄に与えられる前は、お膳や食器類をしまっていたらしい。
湿ったにおいが消えていない。
(こんなところでは、腹のややのためにもならなかったろう)
平蔵は、〔盗人酒屋〕の中2階のおまさの部屋をおもいだした。
天井は高くはなかったが、6畳を独占していた。
「昼間もここに---?」
入りきれない三宅同心と古室同心は、入り口から覗いただけで、いまは空(から)になっている部屋には興味をしめさなかった。
隅から隅まで丹念に検分した平蔵が、畳と畳のあいだにはさまっていた縫針をほじくりだした。
「お鉄さんは、古着でややのものをよく縫っていました」
外からのぞいていた14,5歳の小僧が、手柄顔で告げた。
(そういえば、〔鶴(たずがね)〕の忠助(ちゅうすけ 40がらみ=当時)が、おまさ(10歳=当時)はお紺(こん 27歳=当時)から針仕事をならっているとかいっていた)
【参照】2008年5月3日〔盗人酒屋〕の忠助] (5)
2008年5月5日~〔おまさの少女時代] (1) (2) (3)
しかし、針は偶然に落ちたものであろうか?
なにか合図のつもりではさんだのであろうか?
{まさか、おれが出張るとはおもっていまい。誰への書置きであろう?)
平蔵は、針をなんでもないふりで衿へ差した。
平蔵たちは客間へ通された。
盗賊たちが、家族や店の者を集め、縛りあげ、猿ぐつわをかませた部屋であった。
お鉄の部屋から3部屋ほど離れていた。
「おてつも入れこまれたかのかな?」
平蔵の問いかけに、岡っ引きの宇三(うぞう 38歳)が伊兵衛の顔色をうかがったのを、平蔵は見のがさなかった。
「そういわれて気づきましたが、お鉄は連れてはこられませんでした」
「お鉄がいなくなったことは、いつ、わかったのかな?」
「夜があけて、朝餉(あさげ)にでてこないで、小僧の千吉(せんきち)が声をかけにいくと、部屋はも抜けの空であったのです」
「千吉を呼んでもらおうか」
さきほど、お鉄の部屋の入り口で、縫いものをよくしていたといった小僧であった。
「千吉には、別に訊くことがあるから、本陣へいっしょにきてもらおう」
また、宇三が伊兵衛の顔色をうかがった。
(けっこうな小遣いをもらっているようだな)
伊兵衛は50すぎにしてはいささか太りすぎの気味であったが、さすがにやり手の蔵元の主人らしく、落ち着いていた。
金蔵の鍵をあけないと、奉公人を殺(あや)めることになると脅されたので従ったと、ゆっくりした口調で告げた。
人の命は、500両余(8000万円)には替えられませんと、他人ごとのようにもいった。
「太っ腹だな」
平蔵が感心したふりでいうと、
「生家の近くの大店へ賊がはいったとき、金蔵を開くことを拒んだためにも家族と店の者が3人、命をうしなったことがありました」
「その盗賊も尾張ことばだったろうか?」
「まだ、幼なかったので、そこまでは---」
「40年も昔ことか---」
「さようでございます」
「ところでご当主。奪われた500両の始末はどうつけるつもりかな?」
「それほどのことで傾く身代でございません。それに、実家(さと)から見舞い金も参ります」
「豪気なことよ」
これしきの事件(こと)で、火盗改メが出張ってくることのほうがおかしい、とでもいわんばんりの表情であった。、
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