別刷り『剛、もっと剛(つよ)く』(2)
「とりあえず、板元さんの分と長谷川さまの、20冊ずつ置いておきやす」
〔耳より〕の紋次(もんじ 42歳)へ、
「長谷川さまは、最初の刷りだけで板木をこわせとおっしゃっておる。刷り師、紙屋の帳面をあらためるから、妙な気をおこしなさんな」
「わかってますって---」
権七(ごんしち 53歳)に釘をさされた紋次は、ちょっとあわてた。
権七は平蔵(へいぞう 40歳)の代理人だからであった。
平蔵ににらまれたら、江戸の主だった香具師の元締にしめだされてしまう。
茶寮〔季四〕にとどけられた20冊を、女中たちにかくして亀久町の家へもちかえった奈々(なな 18歳)は、1冊を手にとり、なにげなくひらいた丁(2ページ)が[女性の快感の徴候の看察]で自分とおなじ齢ごろのおんなが裸で法悦にひたっている色刷りがあった。
こういう艶本が板行されていることは承知していたが手にするのははじめてであった。
読むともなく文字に目をすべらすと、
[おんなの十の悶(もだ)えのしぐさ]---と小見出しがつけてあり、
(栄里 イメージ)
1.相手の裸の男を、裸のおんなが両手で抱きしめようとするのは、硬直している陽棒を、おのれの玉門にあてがってほしいと望んでいる。
2.おんなが太腿(ふともも)をひらいてのばすのは、その根元の陰核や下の大陰唇をいじってほしいと望んでいる。
3.下腹をふくらましたら、陽棒を、いま、浅く挿入してほしいと望んでいる。
4.おんながお尻を動かすのは、気分が高まり、躰のすみずみまでいい気持ちになっている証拠。
5.おんなが下からあげた両脚で男の躰を抱くのは、もっと深く入れてほしいという合図。
6..あげて男の胴を抱いた両脚の足首を男の背中で交差させるのは、玉門の中がむず痒(かゆ)いほど快感に痺れていることを伝えるしぐさ。
(あ、これ、うち、意識せんとにやってる。そないせな、いられへんねん)
7.左右のどちらかをゆするのは、深く入った玉棒でそちら側をつついてほしいと望んでいる合図。
8.躰を反らせてくるのは、愉悦が昂まって辛抱できなくなっている。
9.躰から力が脱けて腕も脚も投げだしてぼやりしているのは、快感にひたりきっているから。
(あらら、絵のおんながそうなんやわ)
10.陰液がしたたっているのは、精がすでにあふれきっているから。
読みおわると、下腹の奥がむずむずしてじっとしていられなくなり、腰丈の閨衣(ねや)に着替え、冷や酒を小茶碗に注いだ。
そのとき戸がたたかれた。
平蔵の合図であった。
飛びつくように表戸をあけ、抱きついた。
膝の裏に腕がさしこまれ、抱きあげられた。
太刀の柄が脇腹にあたっているのも気にしないで首筋にまわした腕を力み、そのまま口を吸った。
平蔵がひらかれたままの『剛(ごう)、もっと剛(つよ)く』の絵に目をとめ、
「すごいもの、読んでおるな。廻り貸し本屋が置いていったのか?」
「廻り貸し本屋はきてぇへん。〔箱根屋〕はんがとどけてくれはってん」
「ああ、できたのか」
「蔵(くら)はんも噛んではるの?」
「安っさんの筆だ」
安っさんとは多紀安長元簡(もとやす 31歳)医師である。
「奈保(なほ 22歳)はんとこの---」
奈々をおろし、
「そうだ。唐(から)の国の古い書物から和文になされた」
「唐の国のおんなも、百済のおんなも、おんなじなんや」
「あのことに、変わりがあるものか」
「せやけど、男の人、あのときも目ぇを凝らしておんなのこと、見てはるん? おんなは目ぇつむって肌と股の感じで昂ぶってるん」
「男は、おなごの昂ぶりを見て、はげみをもっと昂める」
「ほな、見て、もっと昂ぶり---}
奈々がただでさえ短い閨衣の裾をまくり、股をひらき、絹糸しか生えていない下腹をさらした。
「閨(ねや)でしっかり見とどけるから、いまは幕を引いとけ」
裾をおろしてやり、平蔵にひらめいたのは、
[廻り貸し本屋]という、自らの言葉であった。
[廻り貸し本屋]はいろんな絵草子を持参し、家々をまわっている。
しかも、後ろ盾は香具師の元締であることが多い。
あの者らに『剛(ごう)、もっと剛(つよ)く』をもってまわらせ、ついでに強性薬や月のものを正常Iに矯(ただ)す生薬をとどけさせれば、その種のものを買うことをためらっている者も安心して頼むであろう。
(あす、〔音羽(おとわ)〕の重右衛門(じゅうえもん 58歳)どんと権七どんに、〔季四〕へ寄ってもらおう)
【参照】2011年12月6日~[化粧(けわい)読みうり〕の別刷り ] (1) (2) (3)
【ちゅうすけ注】『医心方』ついては槇 佐知子さん訳の筑摩書房版を参考にさせていただきました。
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