〔佐倉(さくら)〕の吉兵衛
『鬼平犯科帳』文庫巻4の[おみね徳次郎]では、加賀のどこかを本拠にしている〔網切(あみきり)〕の甚五郎一味の中ではかなりの上部に属してい、通称〔連絡(つなぎ)の吉つぁん〕と呼ばれてしっかりと働いていた。
年齢・容姿:50男。商人風。
生国:下総国印旛郡佐倉村(現・千葉県佐倉市のどこか)
もっとも、佐倉という地名は、茨城県稲敷郡江戸崎町にも、静岡県小笠郡浜岡町にもあるが、池波さんの佐倉への肩入れ---鬼平の剣の師・高杉銀平や剣友・岸井左馬之助、また、おまさの父親〔鶴(たずがね)の忠助の出身がすべて佐倉周辺---を考えると、吉兵衛も下総の「佐倉」出ときめたい。
(参照: 女密偵おまさの項)
(参照: 〔鶴の忠助の項)
探索の発端:四谷舟町の全勝寺の前で、おまさは幼馴染のおみねと出会った。飲みながらのおみねの惚気(のろけ)ばなしに名が出た徳次郎を、火盗改メが見張った。そこへ、大坂での一仕事の連絡(つなぎ)に吉兵衛があらわれ、石切横丁で追捕された。
(参照: 〔山彦〕の徳次郎の項 )
結末:〔網切]〕一味の幹部級の盗人らしく、拷問の屈するよりはと、入牢のその夜に、舌を噛み切って死んだ。
ある意味で、〔網切〕一味を差したのは〔鷺原(さぎはら)〕の九平だが---。
(参照: 〔鷺原(さぎはら)〕の九平 の項)
つぶやき:おみねは市ヶ谷八幡宮の境内の料理屋〔万屋〕の女中をしながら、〔法楽寺〕の直右衛門からの指令を待っている女賊で、おまさの父親〔鶴〕の忠助が〔法楽寺〕一味と関係があったために、おみねとも幼馴染だが、どう考えても、四谷・伝馬町2丁目裏道、祥山寺に近い長屋ずまいのおみねが、舟町へ出むく用事がおもいつかない。
そこは小身の武家の屋敷と寺院が並んでいるだけで、店屋などはない。
密偵おまさにしても同然。
(参照: 〔法楽寺(ほうらくじ)〕の直右衛門 の項)
で、池波さんの思惑を推理してみるに、いま、あのあたりにできている小料理屋へ通ったことがあるのでは---と。
あるいは、あのあたりのアパートに住んでいた担当の編集者がいたか。
編集者といえば、佐倉にも担当の編集者担当か知り合いの編集者がいたのではないかと、推測しているのだが。
そうとでもかんがえないと、高杉銀平や岸井左馬之助(臼井の郷士の子)、〔鶴(たずがね)〕の忠助や連載の早い時期に現れた〔佐倉〕の吉兵衛などの、出生地の重なりの理由が解けない。
(参照: 〔鶴(たずがね)〕の忠助 の項)
まあ、佐倉宗五郎とか、10年前に巨人軍入りした長島茂雄さんもいることはいるが。
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コメント
江戸時代の佐倉は狭い台地の上に城も町屋もある様な
小さな城下町だったように思いますが、この地から
剣豪や盗人達をだしたのは、やはり池波さんに何か
思いがあるのでしょう。
つなぎ役の佐倉の吉兵衛が追捕され、牢のなかで舌を噛み切って死んだのは、勿論盗人としての誇りを守る為
だったと思いますが、拷問に耐えるだけの自信がなかったのでしょうか。
つなぎ役というのは、盗賊一味のなかではどの程度の
位置なのですか。重要な気もしますが、単なる連絡係
なのかなと思ったりして。
捕縛のきっかけは、おみねのお惚気まじりの話からですから、怖いですね。(名前が途中からおすみに変わっているので、ちょっと悩んでしまいましたが、おみねの打ち間違えですよね)
投稿: みやこのお豊 | 2005.02.09 00:11
>みやこのお豊さん
お恥ずかしい。
朝日CCの10日のテキストが[尻毛の長右衛門]なので、その講義準備に追われていて(というのは、クラスで[尻毛の長右衛門]をテキストにするのは、これが初めてなもので)、それで、おみねとすべきところを、つい、おすみと打ったようです。
おすみの躰の中の泥鰌100匹に、つい、つられたのかも。
投稿: ちゅうすけ | 2005.02.10 18:59