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2005.07.16

〔今市(いまいち)〕の十右衛門

『鬼平犯科帳』文庫巻10の巻末を飾っている[お熊と茂平]は、彦十とともにたくまざるユーモアをもたらすお婆さんが事件のとっかかりをつかみ、進行役をつとめながら鬼平を助(す)ける一編。


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南本所 弥勒寺 お熊婆さんの茶店は正門前の板屋根
(『江戸名所図会』より 塗り絵師:ちゅうすけ)

盗人役で登場するのは千住大橋の手前の小塚っ原町で畳屋をやっている〔荒尾(あらお)〕の庄八と、つなぎ役の〔猿野(さるの)〕の仙次だが、この線から糸がたぐられたのが、宇都宮に本拠をおいている首領〔今市(いまいち)〕の十右衛門
(参照: 〔荒尾〕の庄八の項)

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千住大橋 小塚っ原町は左端(『江戸名所図会』 塗り絵師:ちゅうすけ)

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年齢・容姿:どちらも記載されていない。
生国:下野(しもつけ)国都賀郡(つがごうり)今市(いまいち)村(現・栃木県今市市今市)。

探索の発端:笑いをまきちらすお婆さんのボーイフレンド、南本所の真言新義の名刹・弥勒寺の寺男の茂平の遺言で、お熊はその死を、南千住の畳屋〔荒尾〕の庄八のへ伝える。
事情を聞いた鬼平は、茂平が引き込みではないかと疑い、庄八に見張りをつけた。
庄八の動きがあやしくなった。幡ヶ谷の旅籠〔入升屋〕から、宇都宮の〔今市〕の十右衛門へとつながって行ったのである。

結末:まず、つなぎにあらわれた〔猿野〕の仙次が吐き、つづいて〔荒尾〕夫妻も落ちた。幡ヶ谷の旅籠〔入升屋〕が手入れされた4日後には筆頭与力・佐嶋忠介が15名を率いて宇都宮へ出張り、〔今市(いまいち)〕の十右衛門以下4名を捕まえて、江戸へ護送。あわせて21名が死罪。

つぶやき:あたかも幕間劇のように、『鬼平犯科帳』で笑いを誘うのは、同心・木村忠吾、彦十とお熊のかけあいである。1話きりだと、盗人も仲間入りする。〔伊砂(いすが)〕の善八、〔尻毛(しりげ)〕の長右衛門、〔帯川(おびかわ)〕の源助たちである。
こういうコメディ役を巧みに配するのも、劇作から出た池波さんの強みである。
(参照: 〔伊砂〕の善八の項 )
(参照: 〔尻毛〕の長右衛門の項)
(参照: 〔帯川〕の源助の項 )

ついでだが、池さんに[釣天井事件 本多正純](初出『歴史読本』1961年11月号 のち『霧に消えた影』PHP文庫)という短篇がある。秀忠の2代目将軍の家督継承をめぐって、本多正純と土井利勝の暗闘を描いたものだが、まだ駆けだしだった池波さんは、宇都宮や今市を現地取材したとおもわれる。
日光参詣の秀忠の予定では、元和8年4月14日に宇都宮城へ入り、翌15日と帰路の19日に今市で宿泊している。

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コメント

ちゅうすけさん
先日は、深川飯の解説ありがとうございました。
私の叔父も八丁堀出身ということで、鬼平犯科帳のファンで、よく江戸の町を調べているので、叔父がネットを使えるのなら(パソコンオンチ)、このブログを教えてあげたいところです。
深川飯は、やっぱりぶっかけがおいしいですよね。あと、おでん種屋さんと、つくだにやさんも、お墓参りの帰りには立ち寄ってしまうところです。

投稿: リエパン | 2005.07.16 23:47

>リエパンさん

ようこそ、いらっしゃいました。

叔父さまへ、このブログのこと、とにかく、はなしてあげてみてください。
もしかして、区のパソコン教室へおかよいになり、インターネットくらいはマスターなさるかもしれません。

ここと、http://homepage1.nifty.com/shimizumon/は、『鬼平犯科帳』の知識の宝庫ですから。

投稿: ちゅうすけ | 2005.07.17 02:58

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