〔雨隠(あまがく)れ〕の鶴吉
『鬼平犯科帳』文庫巻11に、[雨隠れの鶴吉]の題名としてあげられている盗人(29歳)。中国筋から上方へかけてがテリトリーの〔釜抜(かまぬ)き〕の清兵衛の子飼いの配下。女房のお民(31歳)も女賊。
(参照: 〔釜抜き〕の清兵衛の項)
(参照: 女賊お民の項)
もともとは日本橋・室町2丁目の茶問屋〔万屋〕の当主・源右衛門の子ではあるが、源右衛門は家付きむすめ・お才の婿養子の身で、女中・おみつに生ませたため、本所・小梅村の寮で乳母のお元に育てられた。
17歳のときに〔万屋〕へ放火して逐電したが、火はボヤで消され、家名を気にしたお才があちこちに手と金をまわして事件をもみ消した。
逐電した鶴吉は、東海道をのぼる途中で財布をすられて立ち往生しているところを、〔釜抜き〕の清兵衛に拾われ、わが子同様に仕込まれた。清兵衛は、大坂の伏見町で唐物屋〔坪井屋〕を表看板にしている。
京都・綾小路西入ルの金箔押所〔吉文字屋〕へ押し入ったときの引き込みの分け前80両をもらった鶴吉夫婦は、12年ぶりに江戸見物としゃれて下ってきた。
探索の発端:小梅の寮で鶴吉を母代わり育てた乳母のお元が、永代橋東詰でだしている茶店へ、深川八幡へ参詣した帰りの鶴吉夫婦が立ち寄った。
お元は源右衛門へ急報し、夫婦は、お才も病死していなくなっていた〔万屋〕迎えられた。
が、そこには、〔野槌(のづち)〕の弥平一味の生き残りの〔貝月(かいづき)〕の音五郎が下男として引き込みにはいっていることを、もと一味だったお民が見破った。
(参照: 〔野槌〕の弥平の項)
(参照: 〔貝月〕の音五郎の項)
鶴吉は、八つ山の井関録之助にすべてを打ち明け、江戸を去る。それを見とどけた録之助は、火盗改メの役宅へ鬼平を訪ねた。
結末:〔貝月(かいづき)〕の音五郎に見張りをつけた火盗改メは、上州・武州をまたにかけて荒らしまわっている〔稲荷(とうが)〕の百蔵一味24名が〔万屋〕へ押しこんできたところを全員逮捕。
(参照: 〔稲荷〕の百蔵の項)
鶴吉夫妻は、2度と江戸へ下ってはこないということで見のがされた。
つぶやき:〔釜抜き〕の清兵衛の「通り名(呼び名)」について、「月夜に釜を抜かれる」---つまり、油断がすぎる、から採っていると教えてくださったのは、メル友〔むこん〕さんである。
〔雨隠れ〕は「雨宿り」の意味で、引き込み上手の盗人にふさわしいネーミングと、池波さんが自賛している。p266 新装版p278
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