〔うさぎ人(にん)〕・小浪(5)
「もう一つの件とは?」
「〔蓑火(みのひ)〕の喜之助(きのすけ 46歳)お頭へ、〔木賊(とくさ)〕の林造(りんぞう 59歳)元締の恨みがいかないように、元締を説き伏せていただきたいのです」
〔狐火(きつねび)〕の勇五郎(ゆうごろう 48歳 初代)は、〔瀬戸川(せとがわ)〕の源七(げんしち 52歳)が渡した切り餅(25両の包み)を銕三郎(てつさぶろう 23歳)の前へ押しやった。
「少ないですが、〔蓑火〕のと手前の、ほんのこころざしです。お受けください」
銕三郎は、手をふり、
「〔狐火〕のお頭。これはいけませぬ。親しくさせていただいていて、こういうことを申してはなにですが、父はお上からお役をいただいております。いわれのない金を受けとっては、父の職格に傷をつけることになります。この金がなくても、〔木賊〕の元締を説くことは、かなう、かなわないはともかく、やってみます。どうぞ、お下げください」
銕三郎は、懐紙をだし、切り餅にあてて押し返した。
懐紙は、金に手を触れてないというあかしである。
「なるほど。お父上の職格といわれるとひと言もございません。それでは、下げさせていただきます。たいへんに失礼を申しあげました。このことは、なかったことにしていただきますよう」
「ご承引(しょういん)くださり、かたじけのう---」
銕三郎が頭をさげると、〔狐火〕も飯台に額がつくほどに伏した。
〔狐火〕の勇五郎が、〔木賊〕の元締の説きふせに銕三郎をおもいついたのは、林造が御厩(おうまや)河岸で茶店をださしている小浪(こなみ)に漏らした銕三郎評によったのだそうである。
小浪が、長谷川銕三郎という若者が店へきたと寝ものがたりに名をだしたところ、林造は、小浪の太股を指でまさぐりながら、あの若者は、つつがなく伸びれば、将来の大器だ。お上のお役人の子にしては、珍しく私欲がなく、道理をわきまえていると言ったと。
(栄里『婦美の清書』部分 小浪のイメージ)
さらには、あの若者が、お上の俸禄とりの家の嫡男でなければ、すぐにもうちに欲しい玉だ。あの男なら、〔木賊〕一家をりっぱにに束ねていける---と、べた惚れだったと。
あげくに、小浪に、
「あの若者の子を産んでくれれば、その子に〔銀波楼〕をゆずる」とも。
「とんでもない買いかぶりです。ただ、わが家は、父がまだ出仕するまえの冷や飯食いの時代に、知行地・上総(かずさ)国武射郡(むしゃこおり)寺崎(現・千葉県山武市)と山辺郡(やまべこおり)片貝(千葉県山武郡九十九里町)に、それぞれ100石と40石の新田を開き、家禄の400石を上まわる実収があります。しかも、父が先手・弓の8番手の組頭のお役料が1500石と、恵まれております。贅沢さえしなければ、生活の心配はありませぬ」
【ちゅうすけ注】平蔵の長谷川家の家禄は400石だが、実収は4公6民の幕府のしきたりにならって、4割が知行主・長谷川家のものだから、実収は160石前後。それにひきかえ、新田開発した150石は8割ちかくが長谷川家に入るから、家禄の石高よりも割りがいい。
なお、父・平蔵宣雄の先手組頭の役職1500石格も、実収の支給はその4割前後らしい。
「そうだそうですね。〔蓑火〕のところの小頭・〔五井(ごい)〕の内儀の縁者が、知行地の片貝にいたとか、わけがあったとか---」
「いや。もしかしたら、拙はそちらで生まれていたかもしれないのだそうです。はっ、ははは」
「はっ、ははは。小浪が言っておりましたよ。おんなたちがほおっておかないのだそうで---」
「それは、父の---」
と言いかけて、2年前のお静(しず 18歳=当時)とのことをおもいだし、銕三郎は、あわてて、口をとざした。
〔狐火〕の勇五郎の前では、色恋のはなしは禁物であった。(歌麿『蚊帳の外の女』 お静のイーメージ)
【参照】[お静という女](1) (2) (3) (4) (5)
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