〔橘屋〕のお雪
「 〔橘屋〕どの。まことに身勝手なお願いをお聞きとどけくださり、かたじけのうございます。拝借したお雪どのは、7日のうちに、お戻しいたします」
銕三郎(てつさぶろう 23歳 のちの鬼平)は、料理茶屋〔橘屋〕の主人・忠兵衛(50がらみ)に、こころをこめて頭をさげた。
忠兵衛は、手をふって、
「なんの、なんの。こころおきなくお役立てくだされ。7日といわず、10日でも半月でも---」
お勝(かつ 27歳)の面体を知っているということでは、女中頭・お栄(えい 36歳)のほうがしっかりしているのだが、まさか、座敷をとりしきっている彼女を借りるわけにはいかない。
【参照】〔お勝(かつ)〕というおんな] (1) (2) (3) (4)
岸井左馬之助(さまのすけ 23歳)が、浅草・御厩(おうまや)河岸の舟着き場の茶店〔小浪〕で見かけた、女将と親しげな女が、もしかすると、巨盗・〔蓑火(みのひ)〕の喜之助(きのすけ 46歳)の女軍者(ぐんしゃ)〔中畑(なかばたけ)〕のお竜(りょう 29歳)の情人・お勝(かつ 27歳)かもしれないと、銕三郎は推量した。
いや、ひらめきともいえる思いつきであった。
銕三郎は、自分のひらめきを、あれこれ検討し、お勝は、向島の料亭で座敷仲居をしているとふんだのである。
【参照】2008年8月29日~[〔蓑火(みのひ)〕のお頭] (1) (2) (3) (4) (5) (6) (7) (8)
【参照】[〔中畑(なかばたけ)〕のお竜〕 (1) (2) (3) (4) (5) (6) (7) (8)
それで、お勝の面体をよく覚えている〔橘屋〕の座敷女中のうちから、お雪(ゆき 23歳)を借り、向島あたりを歩き、お勝をみつけてもらうことにしたのである。
お雪はおもしろがり、忠兵衛の許しがでると、銕三郎と連れだち、いさんで本所へ向かった。
もっとも、銕三郎としては、お雪をひとりで歩かせるつもりはない。
久栄(ひさえ 16歳)の例もあった。
お勝の顔を見たことのある左馬之助といっしょに探索させるようにした。
「な、左馬さん。お勝が働いている料亭が、両国橋の東詰の〔青柳〕とか、尾上町の〔三河屋〕や〔中村屋〕だったら、なにも、御厩の渡し舟に乗るわけがない。橋の東西どちらかで町駕籠をひろって〔小浪〕へくるはず。それが、わざわざ渡しできたということは、向島あたりから駕籠で石原町の渡し場まできて、舟で三好町へわたってきたと見る」
「銕っつぁん。まさしく」
そういうわけで、左馬之助は、お雪と連れだって、お勝捜しをすることになった。
喜んだのは、左馬之助である。
足利で、盗賊の首領・〔法楽寺(ほうらくじ)〕の直右衛門(なおえもん 40男)によって女躰のすみずみまで開拓されつくした〔物井(ものい)のお紺(こん 29歳)に、性の愉悦をあじあわされた左馬之助である。
このところ、おんなっ気がきれ、飢えているところで、銕三郎から、
「お雪どのは、父の旧友のところの大切なおなご衆ゆえ、くれぐれも間違いのないように---」
と、きつく釘を打たれているが、それに従う気は、さらさらないみたいである。
若い男の性というものは、自制がききにくく、どうしようもない---と、昔からきまっている。
一方で、銕三郎は、火盗改メ・お頭の本多采女紀品(のりただ 55歳 2000石)を訪ね、本所・向島を廻っている同心・生方(うぶかた)三郎四郎(41歳)に、一帯の高級料理屋でこの3年前からここ半年までのあいだに新しく雇いいれた座敷女中の書きだしを、ひそかにとってもらった。
こういうところで働くおんなの出入りははげしい。
もちろん、〔橘屋〕のお栄のように、じっくりつとめている者も少なくはない。
じつは、銕三郎が、この1年前から半年間---と言ったら、紀品が、
「それでは、探索のねらいが見え見えで、銕三郎どのが目指す相手が気づいてしまう。ねらいをぼやかすために、3年前からということにしなさい。敵をあざむくには、まず見方から---ということもある」
助言してくれた。
たしかに、そのとおりだと、銕三郎は学習した。
本多采女紀品は、銕三郎が打ちあけるまで、探索のわけを訊くような野暮はしない。
話すべきところがくれば、きちんと話してくれ、助けが必要ならそれも頼んでくると信じている。
したがって、本多紀品の部下も、お頭の気質をのみこんでいて、銕三郎に余計な口だしはしない。
この紀品流の心遣いは、のちに銕三郎が火盗改メの長官になったときに、生かされ、配下や密偵からの信頼感が厚かったが、それは20年後の話。
木母(もくぼ)寺境内の〔植半〕と〔武蔵屋〕、諏訪明神脇の〔大村〕、請地・秋葉大権現社わきの〔大七〕と〔武蔵屋〕、それに三囲(みめぐり)稲荷社の北の〔平岩〕から、30数人を超える書きあげがあった。
お勝という名の仲居はいなかった。用心して、名を変えているのであろう。
(向島かいわいの料亭 上左端から時計まわりに大七、武蔵屋、平岩、大村、植半、武蔵屋)
お勝が、小浪(こなみ)の住まいの仕舞(しもう)た屋を借りた日が休息日にあたっていた座敷女中を書きださせることも、探索をお勝にさとられると消えられるとふんで、やめた。
探索の巡廻は、この6軒の周辺を中心におこなうことになった。
片道30丁(ほぼ3km)。
左馬之助とお雪は、五ッ(正午)までに1回、そのあと暮れ六ッまでに2度、源森川北の水戸侯下屋敷の正門前から綾瀬川までの隅田川ぞいの道を往還した。
総距離5里(20km)---おんなのお雪には、けっこう、つらい。
正午までを1回にとどめたのは、夜の仕事が長い料亭の座敷女中の朝はおそいものと、お雪が言ったからであった。
お雪も心得ていて、午後の往来には、その都度、着物を変えた。
赤いものの次には、紺の縞もの---。
着替えと休息には、源森川河口に架かる枕橋ぎわの蕎麦屋〔さなだや〕の座敷をかりることができた。
『鬼平犯科帳』巻2[蛇の眼]でおなじみの店である。
かぶりものも、頭巾であったり、ほこりよけの角(つの)かくしであったり、笠であったり---なるべく怪しまれないように意をもちいた。(清長[埃よけ角かくし] お雪のイメージ)
お雪の宿は、枕橋から遠くない、茶問屋〔万屋〕の小梅村の寮を頼んだ。
乳母のお元(もと 32歳)が、持ち主の源右衛門(げんえもん 47歳)の了解をえた上で、引き受けた。(清長[手ぬぐいかぶり] お雪のイメージ )
源右衛門は、お元からの使いの者に、
「長谷川さまの頼みごとは、どんなことでもお引きしなければならない」
と言ったという。
銕三郎は、寮に入りびたっている井関録之助(ろくのすけ 19歳)に、お雪が止宿しているあいだは、つらいだろうが、お元との睦みあいはひかえるように厳命した。
ところが---。
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