池田又四郎(またしろう)
このあたりで、聖典の文庫16[霜夜]の主役、池田又四郎に触れておかないわけにはいかない。
もちろん、ほかにも、銕三郎(てつさぶろう 27歳)が、京都西町奉行として赴任する父・宣雄(のぶお 54歳)にしたがって京へのぼる前に消息を記しておかなければならない仁には、高杉銀平(ぎんぺい 66歳)師、剣友・岸井左馬之助(さまのすけ 27歳)、井関録之助(ろくのすけ 23歳)、〔鶴(たづがね)〕の忠助(ちゅうすけ 50がらみ)とそのむすめ・おまさ(16歳)、そして〔荒神(こうじん)〕の助太郎(すけたろう 50歳すぎ)とむすめ・お夏(なつ 2歳)などがいる。
これらの仁は、銕三郎が京から帰ってくるあいだに、身辺が激変しているからである。
にもかかわらず、まず、池田又四郎を選んだのは、池波さんが描いた銕三郎とのかかわり方では、史実とあわないからである。
そこに、ちゅうすけの苦衷がにじむ。
『鬼平犯科帳』に描かれている又四郎は、銕三郎の4、5歳下で、200石の幕臣・池田邦之助の弟。
本所・亀沢町の家から高杉道場へ通ってきていた。
〔すっきりとした細身〕の躰つきながら剣の筋はよく、左馬之助でさえ、3本に1本はとられることがあるほどであった。
言葉にときどきどもるくせがあることから、京橋の大根河岸にあるうさぎ汁を名代にしている〔万七〕のふすまごしの声に、平蔵とっさに、又四郎だと察しをつけた。
20数年ぶりにもかかわらずである。
そう、この又四郎は、20数年前に、銕三郎たちの前から、突然、姿を消した。
もし、『寛政重修l諸家譜』に兄・邦之助が収録されていたら、又四郎の項は、
ゆえなく逐電し、行く方知れず
と記述されていよう。
[霜夜]は、養子にきてもらって家名を継がせるという銕三郎の申し出を又四郎が断ったためとされている。
もちろん、その裏には、銕三郎が義母を殺害するたくらみを見ぬき、そうはさせないために身を隠さざるを得なかった、とあかされている。
さらに、池波さんは、又四郎が銕三郎に恋情をいだいていたことも書きくわえている。
つまり、男おんなになって愛されることをのぞんでいたというのである。
おもしろい設定ではある。
ただ、銕三郎に、稚児を好む性癖がなかったために、又三郎は失意したのである。
しかし、史実は、すでに幾度も明かしてきたように、義母の波津子は、銕三郎が5歳のときに病死していたばかりか、病身で、宣雄の妻ととどけられても、病床から立つことができず、妻としての、義母としてのつとめは一切していないとみる。
宣雄の奥向きの世話は、銕三郎の実母・妙(たえ)が、長谷川家にいてとり仕切っていたのである。
妙の実家は、知行地の一つ---上総(かずさ)国武射郡(むしゃこおり)寺崎村の村長(むらおさ)であったと推測されている。
そういう次第だと、銕三郎が又四郎を養子にするために、養母・波津子を殺すのをおもいとどまらせるために、又四郎が逐電するというのは、筋がとおらない。
とすると、彼の家出は、やはり、銕三郎への思慕がつうじなかったためとしたほうが、辻褄があう。
とはいえ、又四郎がどのように誘いをかけ、銕三郎がどう拒絶したか、ちゅうすけには想像もつかない。
いや、まったくだらしがない。
ここで、艶っぽい場面が描ければ、ひょっとしたかもしれないのだが。
文庫巻11[男色一本饂飩]で、大男の算者指南・竹内武兵衛が木村忠吾の唇を吸う描写---、
侍の、大きな顔がぐっと迫ってきたとおもったら、矢庭(やにわ)に忠吾の唇へ侍のそれが吸いついてきた。あっという間もなく、まるで鯰(なまず)のは切身(きりみ)のような侍の舌がぬるりと忠吾の口中へさしこのまれ---
ぞっとする。
又四郎は、もっと美しく銕三郎をいざなったはずだが---。
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