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2010.02.01

与頭・牟礼(むれい)郷右衛門勝孟(かつたけ)

(20年余のあいだ、大過なく西丸の書院番士をこなし、去年の秋、やっと与(くみ 組)頭にのぼったご仁だが、亡父・宣雄(のぶお 享年55歳)のことを、どう見てくれていたものか?)

西丸の書院番4の組の与(くみ 組)頭・牟礼(むれい)郷右衛門勝孟(かつたけ 54歳 800俵)が茶寮〔貴志〕 へやってくるまで、長谷川平蔵宣以(のぶため 28歳)の胸中を去来していたのは、このことであった。
京都町奉行にまで昇進した宣雄を、ふかく妬んでいるようなら、水谷(みずのや)伊勢守勝久(かつひさ 51歳 3500石)の4の組入りの希望をあらためなければならない。

牟礼与頭の屋敷は、牛込築土下五軒町だから、〔貴志〕までは15丁(1.6km)ほどの距離だが、平蔵は〔箱根屋〕の権七(ごんしち 41歳)に、三河町の〔駕篭徳〕につめている加平(かへえ 23歳)と時次(ときじ 21歳)を迎えに行くように手くばりしてもらっていた。

玄関に駕篭がついたようであった。
女将の里貴(りき 29歳)に念を入れ、出迎えと案内はまかせきっている。
部屋の下座に坐りなおした。

「こちらで、お待ちかねでございます」
里貴が如才なく導いてきた。
「や、お待たせ申した」
牟礼勝孟は、おもったよりも老けた感じであった。
鬢はほとんど真っ白であり、細身の躰の腰もかすかに曲がりかけていた。

すすめられて上座を占めた勝孟に、平蔵は丁重にあいさつを述べた。
「いや。このような品のいい店にお招きいただき、恐縮至極」
恐縮した体(てい)を示したあと、
「お父上とは、番入りが1年違いでの。うん、わしのほうが1年半ほど遅れではあったが、年齢が近かったので、組違いでも、よく話をしたものじゃ。もっとも、志はだいぶに異なっておったがの。長谷川どのはうさぎ、わしはであったな」

そのことを別に苦にしているふうにも見えなかった。
突然、年齢を訊かれた。
答えると、
「うちの継嗣はまだ幼くて13歳でな。長生きをせいという天のおぼしめしであろうかの」
笑い顔に邪気がなかった。

里貴が女中を指揮して昼餉を運んできた。
「ほんのおしめりだけ---」
酒をすすめられると、
「いや、弱いものでの。そういえば、お父上もお弱かったが---」
「晩酌は拙のみで酌(く)みました」
注がれた盃を干さなかった。
(酒がいけないとすると、音物(いんもつ)か)

亡父・宣雄の生母が、水谷家が藩主をしていた備中・松山藩の処士のむすめであったこと告げると、牟礼よりも里貴のほうが興味を示した。
「祖母どのの教育がよすぎて、父はなにごとにも精通できたようですが、拙は文字通りの不肖の子でして---」
里貴が小さく笑い声をたてた。
一昨日の、寝屋(ねや)での平蔵の所作をおもいだしたのであろう。

参照】2007年5月21日~[平蔵宣雄が受けた図形学習] () (
2007年5月22日~[平蔵宣雄の『論語』学習] () (
2007年5月25日[平蔵と権太郎の分際(ぶんざい)]
2007年12月18日~[平蔵の五分(ごぶ)目紙] () () ()]

そういう次第なので、水谷組に入れていただきたいと頼むと、番頭からも、空きができたらすぐに手はずをととのえるようにいわれている、との言質がとれた。

分かったのは、牟礼勝孟は、余計な言辞をもてあそばない人柄だということであった。
聞き役のほうが得意らしい。
平蔵は、安心して、亡父の京都での仕事ぶりを話した。

「京都町奉行までのぼられたのに、無念であったろう」
牟礼の言葉には、こころがこもっていた。

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コメント

久しぶりに鬼平サーフィンをやって、このブログのすごさを再認識しました。
きょうの文中リンク先の「宣雄がうけた図形学習(1)」をクリック、読んだらそこの「寛政重修諸家譜 (15)」をクリックしてまた読み、そこのリンク先の「寛政重修諸家譜 (8)」へ行って、長谷川家のおおよその歴史を改めて復習できました。おすすめです。

投稿: 文hくばり丈太 | 2010.02.01 05:57

>文くばり丈太 さん
お励まし、ありがとうございます。
史実の長谷川平蔵を調べはじめて10数年経ちました。祖母(=宣雄の母まわり)や三方ヶ原で戦死し祖=長谷川紀伊守正長などのリサーチはかなり早くに手をつけました。
しかし、多くの鬼平ファンの方は、そんな史実よりも鬼平の人柄や池波さんの味覚に興味を覚えているらしいので、もう一つのリサーチ分野として、盗賊の出身地の推定を加えました。これも、400人近く推定しました。池波さんの書斎がのぞけますから、こちらもお楽しみいただけるとありがたいです。
老骨に鞭うって、このブログをもう少しつづけますので、ご支持くださいますよう。

投稿: ちゅうすけ | 2010.02.01 10:43

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