菅沼家の於津弥(つや)
「藤次郎(とうじろう 11歳)どのは、格段の進歩をなされた」
平蔵(へいぞう 29歳)の称揚に、於津弥(つや 35歳)がにんまりうなずいた。
「お蔭をもちまして、気分もずいぶんと明るくなりました」
稽古を終えた藤次郎は、水風呂を浴びるために湯殿にいた。
面打ちを受けていた平蔵は、汗ひとつかいていなかった。
稽古をはじめて2ヶ月ほどたった、夏の夕暮れであった。
西丸・書院番4の組へ出仕して1ヶ月がすぎると、つぎの月から月に4夜ほど宿直(とのい)がまわってきた。
宿直の日は、1泊2日の勤務となる。
3ヶ日目は非番ということで、出仕しなくてもよい。
夏の暑いあいだは、非番の日の陽が落ちる前の半刻(1時間)を、菅沼家への出稽古にあてていた。
師範にとこころづもりをしていた上総(かずさ)・臼井村の剣友・岸井左馬之助(さまのすけ 29歳)は、母親の具合がすぐれないために出府いたしかねると、送った2両(32万円)を律儀に返してきた。
「素振(すぶ)り用の鉄条入りの木刀も明日からは、4半分(しはんぶ :経0.7mm)から倍の半分(はんぶ 経1.5mm)の鉄条入りに格上げです」
「たのもしゅございます。藤(ふじ)もはげみ甲斐があったと申すもの---」
高杉道場の入門者は、まず、鉄条入りの樫棒の素振りから始めたが、ひ弱な体質の藤次郎のために、最初は4半分、半分の鉄条入りの木刀を特別にあつらえた。
じつは、半分のが2本入りのものも作らせてあるが、いちどに見せると藤次郎が萎縮するとおもい、まだ持参していない。
【参照】2007年11月1日[多可が来た] (5)
2008年5月12日~[高杉銀平師] (2) (3)
於津弥が、小間使いになにやら言いつけた。
水浴びをすませた藤次郎が入ってくると、於津弥は残念そうにはわずかにずって座をゆずり、
「宣(のぶ)先生が、上達がはやいとお誉(ほ)めでしたよ」
長谷川先生が、いつのまにやら、〔宣先生〕に変わっているのに、藤次郎は頓着なしで、
「藤には、朝夕の階段の上り下りを、もう20回ずつふやせと仰せになりました」
上り下りは、最初の10回ずつから、いまでは60回ずつになっていた。
「それでは、日に160回も?」
大仰に驚いた表情をつくったが、平蔵を瞶(みつめ)た眸(め)は媚(こび)をたたえていた。
(武家の室にしては、表情の大きな女(ひと)だな)
「藤次郎どの。武術の稽古に入ったのだから、自分のことを藤と呼ぶのはふさわしくない。拙(せつ)というようになされ」
「はい。ご指導、かたじけのう存じます」
生真面目に頭をさげた藤次郎に、
「所作・作法までの、ご伝授、このとおりでございます」
単衣の胸元で掌をあわせたが、双眸(りょうめ)はあやしげな光をはなって平蔵に注がれていた。
小間使いが行灯をはこんでき、平蔵の前には湯呑茶碗を置いた。
口もとへ運ぶと、酒の香りがした
問いかける感じで於津弥をみると、軽くうなずいて微笑み、
「お疲れなおしでございます」
「陽のあるうちは口にしないようにしているのですが---」
「もう、沈んでおりましょう。藤次郎、先生が陽が沈んだかどうか、お気になさっておいでだから、庭をたしかめてきなさい」
藤次郎が立って行くと、
「一度、本所・四ッ目の別荘でゆっくりとお酒のご相伴をいたしとうございます」
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