庭番・倉地政之助の存念(2)
「打ちこわしといっても、たかが2軒の買占め屋がことでしてな---」
庭番の倉地政之助満済(まずみ 46歳)が、さも軽げにいったので、平蔵の疑念はかえって増した。
(軽ければ田沼(主殿頭意次 おきつぐ)侯が、わざわざ庭の者をお放ちになるはずがない---)
平静をよそおって聴いている平蔵(へいぞう 40歳)へ、
「そういえば、(大坂)ご城代の宇都宮侯が、長谷川さまのことをおほめになっておりました」
突然に戸田因幡守忠寛(ただとを 49歳 宇都宮藩主 7万7000石)の名をもちだしてきた。
(やはり、なにかをかくそうとしておる---)
「因幡侯からは、ご城下はずれの些細な盗みの探索を頼まれたことがあったので---」
【参照】2010年10月16日~[寺社奉行・戸田因幡守忠寛] (1) (2) (3)) (4)
2010年10月20日~[〔戸祭(とまつり)〕の九助(きゅうすけ)] (1)a href="http://onihei.cocolog-nifty.com/edo/2010/10/post-61b7.html">2) (3) (4) (5) (6) (7) (8)
【ちゅうすけ注】この九助の事件で、鬼平時代の平蔵は『五月闇』(文庫巻14)で、密偵・伊三次(いさじ)を刺した〔強矢(すねや)〕 の伊佐蔵の名を知ることになった。
「ご城代は、そのときの長谷川さまの解決の仕様が火盗改メのようではなかったとご賛嘆でした」
「倉地うじ。次にはわが兄者の佐野(備後守政親 まさちか 52歳 1,100石)どのか、土屋帯刀(守直 もりなお 40歳)どのの名をだして韜晦(とうかい)なさるおつもりかな?」
倉地が不気味な笑みをもらし、
「長谷川さま。わたくしどもお庭番の者がほんとうのことを報じるのを許されているはお上に対してだけとの決まりは、ご承知でありましよう?」
うなずいた平蔵が、報告はお上だけに差しあげたてまつるのであろうが、われの問いに、肯(がえ)んじたり否と首をふることはお定めには触れないのでのではなかろうか、と条件をだした。
「長谷川さまにはかないませぬな」
腕をのばした平蔵の酌をさえぎり、
「お庭番は酒に負けないないよう、ふだんからたしなみませぬことはご存じではなかったのですか?」
「さようなこと、里貴(りき 逝年40歳)からは聴いてはおらぬが、いかにも窮屈な掟(おきて)、よのう---」
「地の者とか呼ばれ、広忠(ひろただ)公にお仕えしていたころからじゃな」
「地の者をご存じで?」
「地の者とつながっておった甲州方の軒猿(のきざる)の末裔のむすめというのと知りあったことがあっての。里貴をしる前のことだが---。盗人の軍者(ぐんしゃ 軍師)をしておったおなご男であったが---不憫なことに水死した」
そこまで自分の恥部をさらした平蔵に、倉地は好感をいだいたようで、
黙然と正面した。
それへ、平蔵が容赦なく訊いた。
「玉水町の米穀問屋〔鹿島屋〕と〔安松〕を襲うようにしむけたのは、大坂の豪商連ではないのか?」
(戸田忠寛の個人譜)
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